☆第二章 第三節 「大晦日」

 眠りから醒めるとTVでは紅白歌合戦をやっていた。
 何か悪夢を見ていたようだがよく覚えていない。今年の終わりもいつもと変わらずなんとなく過ぎていく。年の瀬をひとりで過ごすのに慣れてしまったがやはりさびしいものだ。
 こういう寒い日は熱燗に限る。俺は駅前のディスカウント酒屋で買ってきた無名の安酒を暖めた。
 玄関からベルの音が聞こえた。ああ飲んべのあいつか。
「開いてるよ」
 と声を掛けると、あいつは我が家のように堂々とはいってきた。
「ケンちゃんひとりで淋しでちゅか〜」
「藁の字に言われたくね、っての」
 奴はごそごそコタツに入ってくると、紙袋を卓上に放り投げる。
「コレ、また叔父貴から。アマゾン空豆っつうだと」
「はぁ。ま、これなら酒のアテになるか。カレ氏にしちゃ、今回はマトモなもんを送ってきたべ」
 と、俺は本棚に飾ってある、酒のアテにならない所の、フツ族族長のシャレコウベやKGBが使う藁人形、なんて代物を見上げる。
 世界各地を旅したと称して次々に怪しい土産物を送ってくるワラオジであるが、世界各地を旅したと称してカレ氏が次々に(自費出版にて)垂れ流す旅行記には全て「幻視紀行」というタイトルが付いている点が変に正直である。正直過ぎて何か裏があるのではと疑いたくなる。最新作は「アマゾン幻視紀行」、ワラオジの主観の世界に何故かワラオジ自身が他人として登場し、ドッペルにしてゲンゲルな世界が華々しく展開される問題作だ。その「アマゾン幻視紀行」だが、
「なあ!おい・・・」
 さっきから藁夫は、本棚に置いてある顕微鏡や俺が小2の頃から大切にしている地球儀と透き通った貝殻なんかを見てはぶつぶつ云っている。あの地球儀だって、いくつかの国の名前は変わっているはずだ。
 俺はワラオジの、そのドッペルにしてゲンゲルな世界を想いながら天井を見上げた。こんなぼんやりした大晦日も、なかなかいいもんだな。
 と、なごんでいたら
「おいコラ!」
 と上からドヤされた。見れば、天井の隅からfushianaさんがギロギロ睨んでいる。
「お前また、もやっとくの忘れたろ。流されとるぞ」
 そういえば柱がなんだかミシミシいってたっけ。窓をカラリと開ける。
 やっべー。
 俺のアパートは濁流に乗ってどんぶらこと大逆流の真っ最中だった。今日は流れが案外静かで気づかなかったんだ。あーあ、後で鐘でも撞きに行こうと思ってたのにな。ま、それならそれでいいや。
 俺はfushianaさんをコタツに招待してTV鑑賞を続ける。
「お前らはくだらない番組を見ているな」
 fushianaさんは不機嫌である。
「流れに身を任せるという態度が若いくせに」
 ぶつぶついいながらチャンネルを切り替える。
 俺が一度も見たことのないUHFのチャンネルだ。画像は粗いが、オバQ鳥がビックリしているのは、小山の上のロケットから河童の宇宙人が出てきたからだろう。
 藁夫は年越しうどん用の空豆天ぷらを作り始め、
「小麦粉が足りないな」
 と愚痴をこぼす。
 TVでは河童の宇宙人が臨時ニュースを始めた。
 満天の星空と満月をバックに、空中を飛ぶようにポロロッカに流されるアパートの映像。地図ではすでに南鳥島だ。
 窓を開けると、中継用ロケットが並行して飛んでいる。河童とゲストのディカプリ夫が手を振っている。
 部屋のTVに、窓から出した俺たちの顔が映る。藁夫が叫ぶ、
「河童さ〜ん、シモーヌの小麦畑から小麦を収穫して、粉に挽いてくださ〜い。てんぷらに使うから薄力粉ね!」
 河童の宇宙人はそれに応えて
「視聴者のみなさんのなかに、シモーヌの小麦畑の近くに住んでいらっしゃる人はいませんか?!」
 と問う。ゲストのディカプリ夫も
「みなさんのそばに、いいてんぷら種はありませんか?」
 と問う。
 俺はアパートの外を見渡した。
 すると、どうしたことだろう。いつのまにか辺りは小麦畑になっていた。しかも、近くに見える小屋には「シモーヌ」の文字がライトアップされている。つまり、シモーヌの小麦畑の近くに住んでいる、ということか。いつのまに、そんなことになったのだ?
 しかし、藁夫の天ぷら作りを手伝っているいる今、この小麦を収穫できたかどうかはどうでもいい。
 ほしいのは天ぷらの種だ。そばの種にはやはり芝海老が一番、だが欲は言うまい、かき揚げで我慢我慢。
 俺と藁夫は冷蔵庫を漁り、ありあわせの材料で空豆入りかき揚げを揚げた。揚げ終わって振り返るとコタツに叔父、ディカプリ夫、河童の宇宙人、シモーヌが箸を持って座っていた、食うときだけ現金なやつらだ。
 皆でコタツを囲みながらかき揚げ入りの年越し蕎麦を食べていると、除夜の鐘がTVから聞こえてきた。
 今年もお疲れ様でした。

第四節 「藪蛇ヶ原シモーヌ嬢の生い立ち(或いはつまみ菜)」

 藪蛇ヶ原時計店。
 時の流れに置き忘られたこの小さな時計屋の奥の、住居として使用されていた日本間でシモーヌは生まれたという。
 父は藪蛇ヶ原虻造。滅多に客の来ない店先で日がな一日ボーっと口をあけて客を待つだけの木偶の坊であったが、ある夜半
「ロシア大使館に雇われた」
と謎の言葉を残して姿を消した。
 幼いシモーヌを抱え気丈に店を続けていた妻のアユは、一人娘が九歳の誕生日、つまみ菜を喉に詰まらせ非業の最期を遂げている。
 藪蛇ヶ原時計店はこの時CMHCの手に渡った。狐児となったシモーヌは叔父の割烹職人森山鷹之進に預けられた。
 母親の死にショックを受けたシモーヌは青菜全てを拒絶するようになった。
 不憫に思った鷹之進は、シモーヌが食べられるようにとつまみ菜を使った料理を研究した。この研究からつまみ菜料理ブームが起きるのであるが、それは後日のことである。毎晩食卓に載るつまみ菜料理の数々。シモーヌが食べた料理は精進料理の技法を使い、最初のうちはそれとわからぬよう巧みな仕事が施されていた。その仕事は、のちにフェラン・アドリアをして唸らせたという伝説があるが、あくまでも伝説であって真偽のほどは確かでない。
 シモーヌ12歳の誕生日には、つまみ菜のジュレを使ったガトウで祝った。
 シモーヌも叔父の元から、鬼瓦中学へ通うようになった。
 中学校では生物部に入った。生物部では、色々な生き物を飼っていた。熱帯魚、鵯、鳩や蛇がいた。シモーヌも当番の日には、熱心に餌をあげていた。特に鳩が餌のつまみ菜をよく食べた。ある日、鳩がおいしそうにつまみ菜を食べるのを見て、シモーヌも一口つまみ菜を食べてみた。すると
「クルルカリル」
という母の声が、鳩の鳴き声に混じって聞こえたような気がした。
 生物部仲間にもシモーヌはつまみ菜を食べさせたが、それで仲良くなったのが一学年下の汐留藁夫だった。藁夫は小麦粉アレルギーに悩んでいたので、青菜嫌いを克服した彼女にあこがれたのだろう。
 私立カメレオン女子高校に入学したシモーヌの後を追いかけようと藁夫が女装して入学を試み、大騒ぎになったがシモーヌは平気であった。
 色白で日本人離れした容貌のため、彼女の下駄箱はSからの手紙で溢れ、近所の男子どもは彼女の踏んだつまみ菜を争ってむさぼり食い歓喜の涙を流したものだった。そんな熱っぽい崇拝者たちの狂躁をよそにいつも涼しい顔をしていたが、そんなシモーヌにもひとつだけ悩みがあった。
 私立カメレオン女子高校の裏門の脇にある古井戸の柳に、おやつの時間になるときまってつまみ菜をもぐもぐしながら河童の宇宙人が休憩にくるのだ。
 目立ってしょうがない。
 シモーヌは、古井戸の内壁にKGB横穴式秘密基地があることを知っていた。
 入り口にはきちんと藁人形が掲げてある。藁人形はKBGの番人だ。そして合い鍵は森山鷹之進謹製つまみ菜。藁人形の口につまみ菜をつっこむと、つまみ菜のDNAを解析、藁人形はワラワラと、笑笑を創設し笑笑長者となったかもしれぬが、それは別の話。
 シモーヌは藁人形に導かれて古井戸を奥へと進む。でも、古井戸が暗いので藁人形に火をつけ松明にしちゃいました、ごめんなさい、藁人形さん。突然、地下にチクタクと音が響く。
 暗闇で見えた看板は「藪蛇ヶ原時計店CMHCな支店」。
 ドアが開くとそこに白衣覆面の小さい人。頬中のつまみ菜をゴクと嚥下してTMHC院長は口を開く。
「看板は古いままネ」
 この頃CMHCに内紛があり、店は森田療法の過激な解釈を唱えるTMHC院長派の運営となっていた。
「病状が重いデス。父母との離別による神経症を克服するには"あるがまま"を受け入れることダ。アルガママの時の流れを、すなわち時間とアナタが一体化することデス。時間とは、」
 院長の指す先には手術台、そして傍らには鳩時計を持ち手術台を指さす俺がいた。
 俺の声がする。
「これデス。これヲ組み込みまス」
 シモーヌを手術台に縛り付け、腹を裂いて時計の内蔵をぶちこんだ。両目をくり抜き従兄弟の森山鳩実と従兄弟の森山鳩実を押し込んだ。更に333メートルの東京タワーを頭頂からねじ込んでいく。血染めのタワーが残らず体内に埋まると、最後に泡を吹いている女の口いっぱいにつまみ菜を詰め込んだ。
 マアナンテ食いしんボのしもーぬチャン?
 37歳のオ誕生ビ、オめでトウ?
→index