☆第三章 第三節 「緑色の夜」

 ジリリ、ジリリリ。
 蔓電話が鳴った。
 赤く染まった下界の雲や、勝ち気な虻造の頭部が映る水鏡を目の前にして、俺はどのくらいぼんやりしていたのだろうか。確かに俺は、自由な空の広がりを見たんだ。ゆすらうめのような白い花が咲いていた。
 ジリリ、ジリリリ。ジリリ・・・
「はい、ほー、はい、ほー。こちらは法蓮華鏡。感度良好。小人は何人?どーぞっ」
 オンフックにした蔓電話スピーカーから響くワラオジの声はどうやら上機嫌のようだ。法蓮華鏡と水鏡ナントカ鏡その他鏡どもの間に、ビビビッと蔓電話アンテナがバリヨン状態になったってことだろうか。
「7人、と言いたいとこだけど、小人なんかいやしないよ。巨人は見たけどね」
「その認識は間違っとるぞ」
 いきなり混線したのはfushianaさんである。
「いきなり間違っとるとはなによ!」
 今度はシモーヌが混線してきた。
「あんたはいつも天井の隅をつつくようなことしか言わないわね」
 俺はシモーヌに、彼女の父である虻造の変わり果てた姿を泉のほとりで見つけたことを言うべきか否か悩んでいると、悩んでやったのが馬鹿らしくなるような調子で、蔓電話の向こうでヒステリックに喚き続けている。俺はただオーマイベイビー状態でため息をつくしかなかった。
 すると混線の向こうから、俺に精神感応したのだろうか、fushianaさんの鼻歌が聞こえてきた。
「マイベイビー、ベイビー、バラバラ〜」
 それにつられて脱力したのであろう、シモーヌも歌い出した。
「…ベイビー、ベイビー、バラバラ〜、アブゾー、バラバラ〜」
 …ん?アブゾーの声が混線に加わってる。
 さらに「藁夫〜、ワラワラ」、それに対抗して「ワリャ人形〜、ワリャワリャ」と、混線がウィルスのごとくに混線を広げ、バラバラのリズムに合わせ世界の電話回線は一つのバラバラを歌い、同時にパラパラを踊り始めた。
 受話器からひょっこりと顔を出したfushianaさんもパラパラを踊る。振り向くと満席のアテネ・オリンピック・スタジアム中は総立ちとなり、バラバラで一糸乱れぬパラパラを踊っていた。
「夜明けまで踊りつづけるんじゃー、わしになって楽しもう」
 fushiana さんはそう言ったかと思うと受話器から引っ込んだ。
 ガラスに写る自分を眺めるとそこにはfushianaさんの顔!
 振り向くとスタジアム全員の顔がfushianaさんになっていた。fushianaさんは電話回線で混線しfusihanaさんとなり、いや、蔓電話だから、蔓が絡んでfutusiruhanaさんになった。
 そのまま、みんな総立ちでパラパラを踊り続けていると、東の空が白みはじめやがて地平線から巨大な聖火ランナーが昇った。真っ白なランニングシャツを着て、
「一粒300メートル」
 の文字をバックに、空を埋めつくすチョモランマのようなその雄姿を、人々はただ茫然と見上げていた。茫然と見上げながら、それでも全員パラパラは踊りつづけた。
 見よギリシアの朝ぼらけ。今ここに人類文明の夜は明けた。futusiruhanaさんは絡んだ蔓を剥ぎ落としfusihanaさんになりかけたが
「オマエラー、誰に断ってオレの神聖なアクロポリスでパラパラやってんだー」
 と怒鳴られてfusiさんとhanaさんに2分された。
「えっ誰ですかあれは」
「オリンピック理事の方に問い合わせてみては」
「いやむしろ警察に」
「だまらっしゃい」
 再び怒鳴る声は神々しい。
「このオレはギリシア神話最大の女神。大神ゼウスの頭から生まれたといわれ、学問・技芸・知恵・戦争を司る。アッチカの守護神。アテネだー」。
「女神?」
 fushiさんが怪しむ。
「いまオレって言わなかった?」
「言った言った」
 騒然とする中、聖火ランナーの方から
「オレ、オレオレ」
 と糾弾の叫びが聞こえる。
 見ると今や更に大きく膨れあがった聖火ランナーの正体は白い鷺の群れで、鷺は口々にオレオレと鳴きわめいている。
 場内が興奮の坩堝と化したのを見てとったfushiさんとhanaさんは坩堝に身を投げ核融合を果たしてfushianaさんに戻り、遷移エネルギーの剰余hを宙空に放射した。hはアテネ上空のプラズマの作用でhokui40度線に変ずると1粒子300mの蔓を伸ばしパチモンの女神の真上で猛烈に勢いを増している。
 女神は左手をかざしながら、夜明け前の薄いかがやきに拡がる蔓の行方を目で追う。パチモンの女神は何故か、藁夫に会いたいと思った。それを察したfushianaさんは、
「しっかりくっついとけよ」
 と言うとへその速度調節つまみをカチカチッとまわした。
 緑色のきらめきを残して、二人は東の空へ飛び立っていった。

☆第三章 第四節 「藁色の世界」

 そこは藁色…恋も藁色…夢も涙もみんな藁色…。
 長い長い距離を落下しつづけたfushianaさんと女神アテネは、小山のように積み上げられた藁の真ん中に頭から落っこちた。
「ああびっくりした」
 藁まみれの頭を振ってあたりを見回した二人の目に映ったものは…。
「おいオッサン、なんだよこれは」
「お前さん女神ならもちっと女神らしい口をきいちゃどうだ。ここが藁夫発祥の地、藁夫ランドだよ」
 二人の目に映ったものというと、藁藁と現れる藁人形、藁葺き屋根のお城、藁人形のパレード。
 確かに藁ばかりだ。
 藁夫ランドとやらができるほど、ここでは藁夫は有名なのだろうか? そんな疑問を持ちながら、藁夫ランドとはどんなとこなのだろう、と二人は歩き始めてみた。すると、そこかしこから、笑いかける藁の兵隊、陽気に手をふっていた兵隊が突然、藁面蒼白となり藁藁と逃げ始めた。
 振り向くとアテネの聖火が藁に引火、あっという間に一面は火の海、藁夫ランドは阿鼻叫喚の燃える藁の地獄絵図となった。
 燃える藁の中に立ち尽くす女神は
「あしは土佐うまれやき」
 と叫ぶとねじり鉢巻きで地中海からカツオを一本釣り、藁の炎であぶると見事なタタキに仕上げた。
 fushianaさんはさっそく藁焼きタタキ専門店を開店。店名を「メゾン・ド・藁」と藁束の筆で墨痕鮮やかに大書した、そのしぶきが空中に四散し、無数のカラスアゲハとなって乱舞する。
 どんど焼きの灰神楽のように盛大に舞い上がる蝶の後について上昇気流をテクテクのぼっていくと、すてきな空中庭園に辿り着いた。
 藁葺き屋根の小じゃれたあずま屋で、fushianaさんが差し出したタタキを女神はあんぐりと頬張った。
 メリメリ。ぐむむむむ。
 女神は藁焼きタタキのパワーでみるみる巨大化し、あずま屋の藁囲いをはじきとばし、藁葺き屋根も藁屑となり果てた。
 足元の藁靴も耐えかねて藁草履と化し、衣服も藁半紙のように千切れ飛んだ。藁苞入りのタタキは藁鉄砲で撃ったかのごとく隣の藁塚に投げ出された。藁塚には飾り藁つきの藁座鳥居に藁縄が結ばれ、中心の藁蓋の上に藁細工。稲藁を担いだ藁人形、藁箒に跨った藁人形、藁筆を持った藁人形、藁布団に入った藁人形。
 藁寸莎をしばった藁紐の上に藁算の跡を見たfushianaさんがつぶやく。
「よーし。これでもう藁は充分に出た。観測史上最高の藁も、音楽史上最大の藁も出た。誰だか知らないけれど」
 fushianaさんは、ここで読者目線となり
「前の奴が意地になって藁づくしをしやがって、どう続ければいいの!?」
 そこに巨大な凹面鏡を持った女神アテネが現れた。
「こんなもん拾ったけどオレは藁より鳩を焼きたい。鳩たべたい。おーし、焼いちゃうぞ〜!ぽっぽっぽーは〜ァ、たのしいな〜」
 アテネはその場に正座し、あたりに散らばっている藁を掻き集め、小さな山をつくった。
「鳩さん、この上にどうぞ。」
「藁紙のお布団と藁沓がないなら、乗らねぇよ」
 と鳩がうそぶき鼻でわらった。
 藁で束ねてもアテネはアテネ。
 怒ったアテネは器用に藁を編み、藁ごもを作って藁納豆の如く鳩をくるみ、藁人形にして五寸釘で傍らの大木の燃えかすに打ち付けようとした。
 その時、たまたま藁の犬を連れて散歩していたアメリカ人の数学教師がこれを見咎めて立ち止まった。
「いま藁が鳩によってつかまれる心境ネ。動物愛護大事。アメリカ共和党この藁鳩事件許さない! 藁夫ランドに藁爆弾で報復攻撃するネ。この藁1本にe=mc^2のエネルギーがアルんだからネ」
 それを聞いたアテネは
「藁素坊みたいなヤンキーが生意気言って!」
 と言うが早いか、その藁しべを聖火にかざした。
 すると旅人がそれを藁蓑と換えて欲しいと言う。入手した藁蓑を(中略)藁葺きの屋敷を手に入れ、などあってアテネは長者となった。藁焼きタタキを食わせてやって以来子分になったfushianaさんは今や藁屋敷の執事だ。
 と悦に入っていると、聖火の火の不始末で藁夫ランドは再度炎上。炎から逃げ惑いながら見回すと、大地が歪みめくれ上がり、焼け焦げた地面には巨大な文字が浮かんでいる。
[…幻視紀…]
 ジリリ!
 蔓の枯れた藁電話が鳴った。
「あー今、じゃけん亭に到着したがや。録も一緒。録のぱぱに会うたよ」
 受話器の奥からワラオジの呑気な声が
「ワシの最新刊読んだか。藁夫ランド篇。藁夫ランドだけに中身も全部藁藁藁藁藁藁」
 藁電話の読み取りエラーらしい。
 受話器を置いた俺の足下で不意に大地がもう一枚めくれ巨大な「幻視紀行藁夫ランド篇」の1頁目が現れた。
 頁は藁だった。2頁目も藁。3頁目から最後の頁まで全部藁。
 そして全ての藁が燃えていた。
 熱いな。
 ところで誰か教えてくれ。俺は何故ここにいる?
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