☆第三章 第五節 「迷走航路PART2」
「何故そこにいるのか分からないのか?」
藁電話はワラオジの顔に変形し、しゃべり始めた。
「そこがどこか分かっているのか」
TMHC院長の顔になり、
「おまえ自身が何者か、本当に分かっているのか?」
最後にあの男の顔となった。あの男の顔は俺の中の何かを覚醒した。
三貿が響き、俺はタイタニック号デッキでのうたた寝から目を覚ました。隣ではシモーヌが舞踏会のワルツの練習に余念が無かった。
「あら起きたの?ちょっと相手してよ」
くるくると踊り続けるシモーヌの声を聞き流し、食堂に向かった。頭の中がなんだか焦げ臭い感じで、妙にのどが渇くんだ。
「何を飲みまするるる?」
怪しいハト顔のバーテンダー、そのくぐもる声がかすかに気にかかったが、まずは何か飲みたかった。
「とりあえず、水くれ」
グラスにチロチロと涼しげに氷が踊る。あれ?水と頼んだ筈なのに、目の前にはなぜか真紅の液体を満々と湛えた鍋がある。ハト顔のバーテンダーが鍋を火にかけた。小声で何か呟いている。
「…もしかしてクルルカリ…」
鍋の中の真紅の液体がかすかにざわめいた。
「え、何?」
「キロ…持ち味…」
「何て言ったんだよ?」
真紅の水面が大きく波立ち、小さな人々が現れた。
1、2、3…全部で7人。晴れやかな笑顔、片手を揃って斜め上に上げ、それから潜って足を出した。一糸乱れぬ水中ダンス。
バーテンダーの呟きが聞こえる。
「…ピルルッ…」
とか言ってるようだ。
「何だあいつ、モモンガの妖精ちゃんでも携帯の待ち受けキャラに使ってんじゃないのか?ますます不気味な奴だな」
俺がそう思ったとき、食堂の窓から上空をひばりの群れが一連になって飛んでいるのが見えた。
「なんだピルルッっていうのは、ひばりの鳴き声だったのか」
ひばりたちはブルーインパルスのように空で乱舞を繰り広げていると思いきや、数珠つなぎになって空に
「あおば反対ひばりに戻せ」
と見事に文字を描いて飛んだかと思うと、ブルーインパルスのように墜落した。
何もそこまでまねしなくても、と思ったが、甲板に落ちたひばりたちを丁寧に拾った。そして、ローストチキンにするために火で炙った。おいしく焼けていくひばりたちに感謝を捧げながら、その火の周りで東京音頭を踊った。
しばらくすると、ひばりたちは金色の翼をはばたかせ、また飛び立っていった。。そうひばりは不死鳥だ、ローストチキンが蘇って空へ飛んだ。東京音頭が大阪音頭になるくらいのびっくり。
悔しがっている俺の足元に火がうつった。息に火がつきゃ役行者、尻に火がつきゃ屁の行者、爪に火がつきゃ時の長者、足に火がつきゃ猫じゃ猫じゃ。飛び跳ねて踊っている俺を見てひばりが笑う。
ひばりの笑い声はいつしかシュプレヒコールに変わり
「金返せ 金返せ」
の大合唱、しまいにゃお天道様に向かって踊り出す。
俺はといえば、足下に燃え移った火がますます勢いを増してまいりましたサーァ熱い!…って中継してる場合かよ、バーの向こうにプールがあったのを咄嗟に思い出し、足をバタつかせながら飛び込む。
「ほほぉ、今の若者はなかなかのステップを踏んでましたな」
カウンターの前で見ていた老人が、シューズのサイドでフラッシュを切りながら連れに語りかける。
「おや、蛭留君もまだまだ踏めるモノだね。それでこそ我ら旧制三中タップダンス部だ」
と、こちらもバックフラップを音高く響かせながら笑顔でこたえる。
俺は飛び込んだプールの底に整列している7人の小さな人々を見つけた。
どうしてここにいるのだろうと考えていると、後ろから2番目の人がゆっくりと動き始めていることに気付いた。身体の右側に重心を移動させながら、右手が空をつかまえるようにすこしづつ伸びたかと思ったら、それはバスーンに変化した。その手前の3番目の小さな人(小3と略す)はカスタネットを鳴らしてフラメンコを踊り、小4は蛇笛を鳴らしてコブラに不思議なダンスを踊らせ、小5は下駄を鳴らしてやつがくる。小6は空手踊り、小7は留年して地団駄を踏んでいる。
この行列の最後尾にいる小1は日系ブラジル人で名前は庄一だが、自分が率いる世界小餃子団が何ゆえタイタニック号のプールの底で興行しているかに立腹し、排水口の栓を抜く。
排水口から漏れた水で、タイタニック号は自分自身のプールへと沈没していく。
プールに沈む行く船を見つめ、自らの運命を受け入れた乗客は静かにワルツを踊り始めた。俺の横では、藁電話が変形したあの男、ディカプリ夫が
「ケケ、ジジイどものヌルい沈みじゃだめだ、俺が2億ドルの沈み芸を見せてやる」
とプールに飛び込む。
藁電話が絡まった俺は引きずられるようにプールの底へ沈み、仄暗い水底に河童の宇宙人を見た。
☆第三章 第六節 「夢の傍流」
「ねぇ、ケンジー。ケンジーったら、起きなさいよ。」
シモーヌの甲高い声で俺は浅い眠りから目覚めた。が、意識はまだ半分夢のなかを泳いでいる。
「あれ、河童のう…、いや、なんでもない。それより、そのケンジーはやめてくれって前から言ってるじゃないか。」
「おなかがすいたのよ。おむすびたべたい。」
「あ〜、握り飯ね・・・」
俺は夢の途中で、子どもの頃母さんが作ってくれた、まんまるい塩むすびを思い出していた。夢の中で俺はその塩むすびを食べそこなった。あれ以来塩むすびを見ると無闇に食べたくなる。
シモーヌは
「握り飯じゃない、お・む・す・び」
と低い声でささやく。
その夢見がちなハスキーボイスに俺は弱い。俺はとても眠い。
蕩々と流れる夢の本流、その脇を歩く錚々たる武人たちは曹操の軍か。三国演技のテーマソングが俺を夢の傍流にさそう。
中国のお百姓さんがでっかい塩むすびを持久力強化のため腰に7個ぶら下げて校庭を10周する横で、次の演技者が待ちくたびれて寝込んでいる。
その夢の中では陳寿が羅貫中から演義を取り上げて世界小餃子団入りを強要する夢を抱いた話を枕に凡そ9億人のお百姓さんが9億のおむすびの夢を夜ひらかせた。
すなわち百姓等は、皆揃っていわゆる偉大な同志が偉大な事業に賭けるひとつの夢を見たのである。同志はてきぱきと、直径15センチもある9億のおむすびを百姓から全て奪い取って数珠繋ぎに並べ
「お前ら軽過ぎ。俺の死後わずか10年で完璧に堕落しやがって。そもそも偉大なる中華文明発祥以来の悲願たる国家統一の偉業を達成したる御革命の精神…」
云々かんぬんと、全長13万5千キロのむすび文字でクドクド愚痴を並べたてた。
この万里の飯詔勅をスカイラブから読もうとしたデカプリ夫は、中国語が読めなかったので、なんのことだかわからず、9億のおむすびを見てただ満腹感に浸るだけだった。そのうち、満腹感でうつらうつらとし始めた。
しばらくすると、夢の中で、9億の数珠繋ぎされたおむすび達がいっせいに、マツケンサンバを踊り始めた。9億のおむすび達はただひたすらに踊り狂い、歌い狂い、やがて9億一斉にトランス状態となり、恍惚朦朧の9億個の夢の中で9億人の暴れん坊将軍となって悪代官と回船問屋を懲らしめた。
感謝してもしきれない老父と娘と娘婿(腕のいい飾り職人)。
「死んだおっかさんの分も幸せになるんだぞ。達者で暮らせ」
と9億人の暴れん坊将軍はマツケンサンバを踊りながら去っていったところで目が覚めた。
不思議なのは、夢みる前は9億のおむすびだったのに覚めてみると9億の蝶結びだった事だ。読者諸君、チミたちは9億の蝶結びを見たことがあるか? 私は見た。確かに見たのダ。その長さ4万Km。
私はギネスブックに
「世界一の蝶結び」
と電報した。うたた寝をして返事を待った。返事はなかった。
寂しくなっちっちな俺っちは、センチメンタルなジャーニーに出発進行と蝶結びを引っ張ってみると、それは一本の藁しべとなった。
その長さ8万Km、なんてこったベイベ。世界一の藁しべで俺っちは、世界一のわらしべ長者になり、世界一の蔵屋敷を建てた。チンケな村を睥睨する蔵屋敷の屋根はお日さまでぬくまってて、俺は三毛猫とひねもすまどろんダ。んだんだ。昼飯の後、唐突に暇乞いをする猫に俺はついつい猫の額ほどの地面をくれてやった。一獲千金を夢見た猫は、来る日も来る日も地べたを掘った。
ブピャー!
猛然と湧いて出たのは黒い石油かと思えばあにはからんや、どす黒い温泉ではないか。
「温泉は好きよ」
とシモーヌがのこのこやってきた。
「三毛猫から温泉権を買い取って、ここで温泉旅館を始めましょうよ。この黒い湯はペコリーノ・ロマーノにとっても合いそうだわ」
「そう、空豆もこの黒い湯で茹でて温泉空豆。もちろん海豆も茹でなきゃだわ。温泉空豆と温泉海豆が名物の黒湯旅館。藁電話の水鏡にコマーシャル流すの。出演はもちろんディカプリ…。」
シモーヌの夢は果てしなく膨らむ。
俺はシモーヌの話に適当に相づちを打ちながら、蔵屋敷の屋根でまどろんだまま、藁夫と過した夢のような秋の日を回想していた。
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