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13 vieille rte de Pensieres 74290 VEYRIER DU LAC
ferme lundi, mardi et merc. a dej. (sf juil.-aout) et mi-nov.-deb. mai.
Chef: Marc Veyrat (1951-) ~ Yoann Conte
2009年、閉店の模様
2010年、再開か
ミシュラン3つ星獲得は1995年。
ゴーミヨでは、「出ないものと思われていた」幻の20点を2003年に獲得。…しかし、20点、ねぇ、、、、。
Michelin ○○ /GaultMillau 19.5 (1990) Michelin ○○○/GaultMillau 19 (2001) Michelin ○○○/GaultMillau 19 (2002) Michelin ○○○/GaultMillau 20 (2004)
2009年2月24日、「フィガロ」「ル・モンド」が伝えるところによると、Marc Veyratは、健康上の理由(2006年のスキー事故によるものなど)から引退を表明したとのこと。オーベルジュ・ド・レリダンもこれに伴い閉店する、というような報道となっている。いずれにしても、大変に残念です。
公式サイトによれば、門下生のYoann Conte氏のもと、再開の運びだとか。 (2010)
ヴェイラは2013年、Manigodに「La Maison des Bois - Marc Veyrat」を開店。 本稿は2002年「Auberge de l'Eridan : Marc Veyrat」訪問記であるが、2014年時の店舗は、次のようである。
● Restaurant Yoann Conte (13 vieille rte de Pensieres 74290 VEYRIER DU LAC) www.yoann-conte.com
● La Maison des Bois - Marc Veyrat (Col de la Croix-Fry, Manigod, France) www.marcveyrat.fr
2002年10月
" menu sonate "
*Sandwich et Hamberger, gelee de panplemouse et genipi,mousse de polytic (緑とピンクの筒、野菜のシューなどのアミューズ)
*Escalope de foie chaud, vinaigre de myrrhe odorante
*Oeuf mi-coque mi-brouille mousseuse de muscade, piqure d'oxalis
*Gelee tiede aux aromes de lierre terrestre,concombres, encornets pistaches, effile de crabe
*Les trois ravioli de legumes d'ici, sushi en folie,huiles epicees, noisettes, olives, soja
*Consomme de poule, spaghetti fondants au gout de fruitiere, sorbet de foie de volaille
*Fera du lac poelee sur la peau, cube de glace, aux aromees de benoite urbaine
*Turbot cuit sur une pierre d'Arly, pastilles de verveine melissee, coulis d'ache
*Soupe d'epiaire des bois, echalotes glacees fanees,lard virtuel
*Cappuccino de rattes aux truffes, ecume de cacao
*Irish coffee de canette tiede, souffle de mais glace bonbons de carvi
*ヴォーの皿
*コート・ド・ブフの皿
*Les desserts de mon enfance
*Pots de cremes oublies au four, a la decouverte de la flore alpine
+90 Mondeuse Prestige / Grisard
■ Annecy____________________
[AQ!]
帽子男マルク・ヴェイラの料理が食いたい。コレが2002秋フランス旅行の主眼ではあった。しばしばミシェル・ブラスと対比して語られる大きな黒い帽子と黒いマントの鯔背な山男。香草を魔術のように操るサヴォアの山の野人。クレイジーなまでのパッションで未開の野に新天地を切り開く気鋭の料理人。…と、こんなに気になる奴も少ない。
しかし、「アヌシー湖って何だべさ、どうやって行くとですか?」と、無い知恵を呑気に養っている間に、帽子男はすっかり時の人として脚光を浴びる存在となる。例の「ミシュラン6つ星獲得!」の騒ぎだ。実際にはヴェイラの6つ星(=すなわち3つ星2軒)は、デュカスの場合と違って「季節によって営む店が違うだけ」でスタッフはその間を移動する。夏は湖畔/冬はスキー場の店での営業で、夏の3つ星と冬の3つ星足しての6つである。どちらも建物として立派なら、後の内容は同じなんだから、片方が3つ星ならもう一方も3つ星というのは自然なことではある。
ミシュランの星騒ぎは、アヌシー湖行決行計画者には余り良いニュースとは言えないかもしれないが、まーとにかく、行くぞ食わせろ、の2002だ。
そんな訳で旅のメインテーマの帽子男の館。2泊ぐらいして2,3食食おうよ、が当初の目論見であった。…のだが、ガーン、実際に具体的に調べると問題が一つ…。我々には、“頭の血の巡りの悪さ”とともに、“財布の薄さ”という大弱点がある。ここでまぁ一つ、ヴェイラのサイトのタリフ関係んとこ、見てみてくれよ、兄ィ。ヴェイラのタリフの高額さったら、アータ、群を抜いて一頭地…から回りをヘイゲイするかの如き猛烈さである。単純な話、同じ3つ星19点のミシェル・ブラスやジョルジュ・ブランの料金と比較して、室料も典型的ムニュもおよそ「倍額」なのである。倍だよ、倍。これはもう、超高級ホテル・超高級旅館泊まり歩き道楽の、クラ~スがアッパ~な方々のタリフの世界と言っていい(しかしそう考えると、レストラン道楽って“普通”には安いもんだよな)。
このタリフにクラクラと迷う。2泊はあんまりだよな。1泊はアヌシーに安宿をとってタクシーで食いに行くか…など折衷案も検討するが、結局、“ウーン、今回は様子見”で「1泊1食」と決断。アヌシーの地勢上の位置が頭に入ってみると、思いの他Lyonからの便はよく、再訪難易度は高くないのを知ったせいもある。
リヨン、グルノーブル、アヌシー、ジュネーヴ、シャモニー、、、「LyonからAlpesへ」のルートは高速網がとてもよく発達していて、大概の行程は複数の経路選択肢が選べるほどだ。この日はヴァランスからアヌシーへ。オートルートはよりどりみどり。一旦Lyonに向う…のも不粋かと、真直ぐグルノーブルに出るA46を使う。随所で山岳ドライブ気分を味わう。「さすがにアルプスのお山さんは“山”らしく険しいことですの~」とマッシフセントラル暮しが長かった(3日間)日本人の目が喜ぶ。
アヌシー着。この行程はラクで3時間もかからない。アヌシー・ノールを降りると道は新市街の中を進む。大きい街でかなり道はゴチャゴチャしており、湖畔に辿り着くのも一仕事であった。
お~、湖だ! 芦ノ湖畔とかそんな風情。時計回りに湖一周のコースをとると、道は程なくヴェリエ集落に入り、キョロキョロしているうちにマルク・ヴェイラの館オーベルジュ・ド・レリダンを発見。近辺はホテルが多い。まだ日が高いので、湖一周観光を続ける。
タロワールで停まって、カフェ昼食の算段。金曜午後ではあるが、観光シーズンが過ぎたゆえか、立ち並ぶカフェやレストランを併設したホテルも、あまりやる気なし。ちなみにこの集落に、かつての(なんて言ったら怒られるか)名店「オーベルジュ・ド・ペール・ビーズ」がある。
タロワール集落中心部のカフェでキッシュロレーヌを食い、センスの良さげな土産アクセサリー屋で少し買い物をする。
「ここへは初めて? 日本人もアヌシーばっかりじゃなくてタロワールにも来ればいいのにね」、とオバサン。「ちょっとこれを見て頂戴よ、"漢字"でしょコレ、何て書いてあるの?」などと逆に質問されているへべである。
湖畔の、水がチャプチャプいっている際を更に車は進む。とんがった端まで行って、クルっと回って反対岸をアヌシー市街に戻る。こっちサイドは湖畔の道が赤い国道で交通量多く、観光的にはつまらない。
丁度ヴェイラの対岸はここらだべか、という位置で車を停める。「水辺から向こう岸を見てみよう」と言ったものの、ここはプライヴェート湖畔らしく、柵と生け垣が障害になっている。仕方なく、ピョンピョン飛び上がってみたり、垣の切れ目から覗くとヴェイラらしき建物が垣間見える。へべが「水色の建物だったから、そうよ」と、さっきの一瞥で館の色を覚えてきていた。コレは一発写真を撮ろう、と、伸び上がったりTwingoを踏み台にしたり、大騒ぎ。なんとか撮影して、ヨシヨシと出発すると、ものの15mも行かないうちに、湖畔に出る遊歩道の入口が…。簡単に写真が撮れる…。アヌシーにもマーフィーは遍在すると思い知った一幕であった。
この方向からアヌシーに戻ると、シティホールを中心とした旧市街に到着、まずは観光フェリー乗場である。
いや~、観光地である。ディナークルーズ対応巨大フェリー、太鼓橋、溢れんばかりの花・花・花、石造りの教会堂、水鳥水鳥水鳥に囲まれてスイ~っと泳ぐ白鳥! 。全てが愛らしくディスプレイされた、何とくすぐったい(くすぐったがるなよ)尻のこそばゆい(こそばがるなよ)…大変な観光地である。まぁ芦ノ湖…より品は良いのだけどね。「地球の歩き方」によると“スイス風の街並”と言うのだそうだ。たしかにチロリアン衣装こそ見当たらないけど、スイスがどうの…とかそーゆー風情だ。
おっとそうそう、ここではシティホール地下Pに車を停めたのだが、この地下Pは地下6Fまで掘抜きになっており、その6F分を展望エレベータ2基が降りて行く。これはカッコ良い!…と、白鳥様よりパーキングに感心してりゃ、世話ない(^^;)。
■ Auberge de l'Eridan____________________
…とか言いながら、無事に市内観光も済ませ、そろそろチェックインの時間となる。ヴェリエ集落のロータリーからヴェイラの玄関までの小道はゴチャゴチャ曲がりくねりかつ急カーブあり、であまり楽しくない。泣く子も黙る6つ星様へのアプローチ…って盛上りは無し。玄関前に乗り付ければ、ベルキャプテンが飛んで来てテキパキテキパキと、コトを進めてくれる。このヒトは翌日、Twingo後部トランクカバーの外れてるのを見事に直してくれてたくらい、イイ奴だ。
そういえば、後で駐車場を上から見たら、BMW、ベンツ、ボルボ、でかいモデルのプジョーetc.に囲まれて、Twingoの小せぇこと小せぇこと…。キャハハ、他のクルマの半分以下だよ。此所に来るクルマはみんなでかいなー。フランスの地方ではミシュラン2,3つ星の店でも、クリオだサクソだVWの小さいのだオペルの小型だ…と気楽なクルマ主体ということも多いので、久しぶりにココみたいに大型車タップリの駐車場を見るとビクーリだ。箱根オーミラドーの駐車場を思い出す。これが、“大観光地”“スイス国境近く”ということ…なのかもしれない。銀行家の休日? (というか、アルザスでも、ドイツ人が乗ってくるクルマはデカい。ドイツ人は大きいからね…、じゃなくて、EUの時代になっても“国境を越えて遊びに行く”ってのはなかなか裕福なことなのかもねぇ)
眺めながら、「あんなデカい車じゃ、ブルゴーニュの葡萄畑の畦道でUターンできねーよ(笑)」とTwingoの肩を持つ。「少しは恥じろ、ニッポンの国辱モノめ」と叱られそうだが、思うに、きっと絶対、ワシら以外で此処んちに来る日本人はみんな、ベンツのSクラスあたりで乗りつけてる。間違いナイ!((C)長井秀和) という訳で、日本の威信はその辺りの方々に任せてOKOKということで(^^;)。
お部屋はお2階でございます。
案内のオネーサンの先導。実はこの時、間違いが起こっていた。オネーサンは英語モードで「ユー・ステイ・トゥナイト?」と聞く。ウィウィ。「フランス人の英語だなぁ、何か変なことゆーて」…とか聞き流してたワシは、「そうだよtonightだ、グッドステイだといいね」等と返答(英国人の英語なら「え、何何?」と聞き直す所なのだが(^^;))。ところが翌日わかった所では、向こうはどうも"2 nights?"と言っていたようなのである。
大体、何で訊いてきたのか。「到着日・出発日・滞在1nuit」を書いたFAXは何往復もしていると言うのに(途中の予定変更も無かったし)。事務整理が悪いな(笑)。
ま、この件は翌日「ちげ~よ、今日帰る」と言って、済み。
さて、部屋だ。バーン! ワハハハ…こいつは、よくもやったものだ!
「山の暮しがテーマだ」と言えばよいか。ふんだんにふんだんに木材を使いこなした部屋。木組みはアチコチで「素朴な味わい」を表現する木肌を見せている。ベッドの頭の上あたりには棚を設け、そこにギッシリと「焚き木用の小枝」が詰め込まれている(勿論、そんなもん使わないが)。天井の造作が面白い。木と金網で出来たパネルに、乾燥麦・布・豆・乾燥草花など様々な物を挟み込み、そのパネルで天井を埋めて行く。寝転がって下から見上げると、でっかい押し花図鑑のようだ。
おっとそういえば、壁には、採集した香草類の押し花・押し草が額装されて、何枚もかけられている。ちゃんと学名を入れた整理がなされていて、さすがに香草の魔術師(笑)。
昔の木製農機具類も、床に壁に、装飾調度品として活躍している。その幾つかは釘で止められていて、「持って帰られないようにしてある、ってわけね」(by へべ)なのは御愛嬌。
部屋全体がアトラクティブでチャーミングな眺めであり、居住空間として快適だ。要素が多く、綺麗にフィニッシュアップされている為、どこか、「田舎の山小屋“テーマパーク”」のようではある。
テラスに出れば、アヌシー湖が馬鹿みたいに眼前にダダ広がっている。湖から視線を手前に戻してくると、白地に赤・青のボートがプカプカと浮かび、小さいヴェイラ専用船着き場があって緑の庭の起伏、更にその手前の屋根の下がレストラン部分、という寸法のようだ。レストラン部は玄関エントランスから見ると1階下のレベルで、すなわち部屋からは2階下にあたる。
部屋のテラスと真反対側が浴室で、巨大ジャグジーバスがデンと構える。ジャグジーONすると泡噴射とともに浴槽下部からライトアップがなされ、泡にまみれた輝く裸体は、部屋越しに湖と山を望む。豪気なこっちゃ。これでシャンパンでも開ければさらに豪気だろうが、ま、終わっちまうだろうな(^^;)。
ってな訳で、例えばミシェル・ブラスの客室なんかは初めて入った時にはちょっとした感動を覚えたのに対し、ヴェイラの客室は感動ってこたぁ無いのだが感心と面白みとゴージャスなサービスを供してくれる。
山の向こうに陽が落ちる。秋の陽は落ち出すとストンだよ。実の所は、山に関して言うならば、ヴェイラが建っているこちらサイドの山の方がずっと綺麗なのである。すなわち、山を見るなら、対岸からこっちを見る方が良いのだけどな。
■ Marc Veyrat____________________
…と愚考しているうちに辺りは闇。我々はレストランへ出かけませう。
レストランの造りもテイストは客室同様で、明るく元気のよい山小屋調。セルヴールの、白とオリーヴ色を基調とした明るい服装が、全体の雰囲気の素軽さを更に強調しているかもしれない。サルを進んでくると、そこはかとなく清涼な香りが漂い、快い。普通は「料理の香りか…」という所だが、此所のは、サルのフレグランス用だけに何か香らせているんじゃないかな~。そーゆー印象。
ここでの注文は、ムニュデギュスタシオンの「ソナタ」かなぁ。アラカルトもあるのだが、若干このムニュに誘導的なフシのあるカルトである。“ま、とりあえず「ムニュ」食っとけ”、みたいな。それ、食っとくわ。
カルトドヴァンは、実はweb site上で一部予習済みなのだが、値付けがクソ高い。特に有名銘柄は恥ずかしいほど高く付けている。実際に店で詳細に見ると、ローヌの一部など比較的冷静な値付けもあるが、矢張り、ある程度のワインの実勢価格(酒屋で幾らで売ってるか)を知っているヒトだったらクラクラしそうなリストだ。
じゃぁ全滅か、というとそんなことはなくて、「イイ物」がある。何のことはない、「土地のワイン」…すなわちジュラとサヴォアだ。カルトの2頁目がこれらに捧げられている。4桁(euro)価格も乱舞する他ページと違い、このページは80年代から揃っているにも関わらず全て2桁価格(絶対価格が安ければいい値付け、ってもんでもないけど)。「俺っちはサヴォア赤の古めを貰うぞ。どれだす?」とソムリエに下駄を預けると、スーッと指先は90で止る。prestige。ウン、良さそだ。
事実、良かった。麗しい鼻を持ち、ボディは、肥えたり充実したりまろやかだったり…とまでは言えないにせよ、十分に下支えする力量がある。まー、ここいらの酒でなかなかこうはならないのだろうな、と思う。
アミューズ。緑とピンクの2層がケバいガラス筒が目をひく。シューにいこんだクレーム野菜は、旨いが意外にコテーッとしっかりしている。かなりヴォリューム感。
うーん…。
…う~んどうしよ、ここでは、先に解題というか、我々の発見した結論(ではないが、“まとめ”のようなもの)を、一足お先に披露してしまいましょか。
このディナー時もマルク・ヴェイラには軽く挨拶などしたのだが、翌朝帰りがけに玄関でバッタリ遭遇した。これは好機、と、写真をねだったのだが、握手してギョ。はいチーズ、と肩に手をまわしてギョ。デカいのだ、この男。巨大人間だ。中に絶対何か入ってるよ、コレ…。じゃなくて。牛と戦ってみるかチミ…。じゃなくて。
えらい大男です。
此処んちのムニュは、どうしてもこの、“巨人”の感覚で作られているとしか思えない。つまり一つには、ド単純に、絶対量が多過ぎ。ワシらには、幾らなんでも、これ全部を楽しめ、と言われたら辛い…どころか、食えん(^^;)。ま、それはワシらが“小人”なのがイカンのではあるけど。
(だけど、ワシらとて、ムニュデギュスタシオンでも、そう滅多にギブアップした経験はないんだけどさー)
で、それもあるが、この“大人物”のムニュは、さすがに幾つかの点で「やり過ぎ」「詰込み過ぎ」を感じるのだ。即ち、コース全体の流れとして、さすがに流麗さが無いし、対照の美が感じられない。コースの「構成」として、どうなんだろうか。ここまで“ぜ~んぶ”出されると、やっぱ、重複を感じる所もあれば陰影が塗り潰れて感じる所もある。舌や脳の記憶層にうまく納まっていかない。
(ちなみに個人的に、大ムニュの流れが綺麗だと感じるのは、M.Bras,R.Marcon,A.Adurizなど。逆に此処んちのように一品一品は傑作だが流れないのはM.Berasateguiなど)
だから、素晴らしい皿が出ても、今一つ上手く“感動が納まるべき所に納まる”ことが出来なくて、もどかしい感じがするのだ。
ちなみにこれは日本の小人ゆえの感覚かと思っていたら、そうでも無いらしい。元ミシュラン調査員のPascal Remyは著書“L'inspecteur se met a table”(「裏ミシュラン」バジリコ刊)の中でこう言っている。 ==========================
ミシュランガイドに載っている店のなかで、いちばん印象に残っている店はどこか? この質問に答えるのは難しい。メジェーヴにあるマルク・ヴェイラの店で、350ユーロもする有名な「お試しコース」を食べることはおすすめしない。(中略)そのときは楽しく、感激もするしお祭り気分になる。ところが一週間もたてばすべてを忘れてしまう。食べたものをまったく思い出せなくなるのだ。 ==========================
Pascalがここで言っているのは、我々とかなり近い感覚なのではないかと思う。(ちなみにPascalはこの後、「忘れがたい思い出」として、パコォとブラスの皿を挙げている)
…と、ありゃ、文句から先に申し立てる日記になってしまったが、一品一品の料理は凄いよ。度肝を抜くようにイカれてカッコよく、それでいて味覚を捕らえて放さないような傑作がバンバン出る。紛うことなくスッパリ新しく、見たことも食べたこともないのに、味の美形が頭の中に結晶するような料理がある!、と認めるにヤブサカでない(^^;)。
[へべ]
黒い帽子に赤いマフラーのイカしたシェフ。ずーっと気になっていたマルク・ヴェイラの料理、やっと食べてきました。その感想は…いささか複雑。確かにこのヒトは天才的に料理、うまいのだろうな、と思う。でも、ミシェル・ブラスの時みたいに「やっと来た&やっと食べたぞ、素晴らしかったぞ、絶対にまた来るぞ」と手放しに踊りきれない、3勝2敗1引き分けみたいな気分にさせられるのはなぜかしらん。
その一部――例えば、アヌシーみたいな小奇麗で素敵なお金持ち向けの観光地よりも荒涼としたド田舎にうっとりする、とか、懐具合が情けなく宿代などすぐケチりたがる、といったあたりは単に、こちらの趣味属性との“相性”の問題だから仕方ないや、と割り切りやすい。一番つらかったのは「量」かもしれない。一皿当たりの量が多い上に、コースの構成自体もやや冗漫。というか、後で読み返してもクラクラするような内容(アミューズに前菜5皿、魚2皿、スープ、肉2皿)で、なんぼなんでもコレ全部正気で食べきれないだろう。コースの終わりにはもちろんサヴォワご自慢の素晴らしいフロマージュを満載した見事なシャリオがテーブルにやって来るのだが、その時にはもう見ただけで貧血起こしそうな状態でした、イヤほんとに。
ま、量についてはご当人を目にするとある程度得心がいく。なにしろ、「人間が中に入ってる?」と背中にチャックを探してしまうほどの、文字通り巨大なシェフなのだ(ディナーの翌朝に一緒に写真を撮ってもらった時には、その手の大きさにも驚かされた。ブラスは体躯も掌も“分厚い”印象だったが、このヒトはどこまでいっても“デカい”)。この巨人にして天才情熱野人のヴェイラが、そのほとばしるアイディアとインスピレーションを次々に料理の形に変え、自分の胃袋を基準にガンガン出してくるわけだ。東洋の島国からやってきた小さなボクらにはそりゃ、多いわな…。でもって、一つひとつの料理が旨かったり素晴らしかったり面白かったりするだけになんとなく残せずに食べ進むうち、ある時点から脳が危険信号をピコンピコンと発しはじめた…という次第。
後日AQとの反省会では「(クレームは全く使ってなくてトレトレレジェールなんだよ、という言葉に半ばつられて)冷たい鶏レバーに熱々のコンソメを注いだあの一品を全部食べてしまったのが大きな敗因」だったかなぁ、などとタメイキをついたのでした(分析するなよ)。魚の二皿目以降はほんっとに少しずつしか食べられなかったのが口惜しい。肉料理にチョコボンボン添えてみたり、秀逸な出来の皿もあって、もっと食べたかったよー。
というわけで、ペース配分を誤って後半の走りが破綻したマラソンランナーのように息も絶え絶え状態のボクらでしたが、それでも振り返ってみれば、ヴェイラの料理は素晴らしくも面白かった。素材は当然極上(だって高いもんね)、評判通りの多彩な香草の使い方やプレゼンテーションの工夫にも目を瞠った。調理の精度もかなり高く、そして何より、食べて旨い。ここは是非いずれまた、体調を整え、綿密な作戦に基づくオーダーでリベンジといきたいところです。狙いを絞ってアラカルトにした方がいいかなぁ?.
[AQ!]
様子もわかったし、是非、アラカルトで再チャレンジしたい~(^^;)。
で、うん、確かにたっぷりのコンソメもそうだけど、かなりガバッと出される前半部を半分くらいカットしたい感じだったかもよ(わかっていれば!)。
アミューズがボリューミーに出るじゃん? んでしかもその「ハンバーガー」(みたいなもんがチョコンと出るのですよ)とか「ピンクと黄緑の取りあわせ」とかって、後で聞くと、彼の文明批判(笑)みたいな、“巨人のエスプリ”的代物だったらしい。もしくは冗談。その意味合いも含めれば一齧りずつもすればOKだったか?
で、次のフォアグラ(結構デカい)。極上で美味しいけど「フォアグラはフォアグラ」…、味は程なくわかる訳で、、後は、、(但し、コース始まってすぐのフォアグラって残しにくいわな(^^;))。
次は玉子。皿一面の自然苔の中に置かれた玉子に注射器から香草ソースを注入するという凝ったプレゼンの傑作だけど、ま、丸々一個キレイに食わなくても、、、。
(「凝ったプレゼン」は他に、“コンソメのスープ注ぎ込み”や、“皿の上に漏斗を立てて濾紙を敷きその上からソースを注ぎ込んで素材にかける”など、奔放なアイディアが楽しめた)
(そうだ、「自然苔のお皿」で思い出したが、食器類も大変凝っている。凝っているんだが、ここでもアイディアが“ほとばしり出るままにぜ~んぶ”採用し過ぎているように思える。例えば、「素朴な土のぬくもりに可愛らしく懐かしい絵を描いた恐らくは山の伝統的な物であろうお皿」が使われたかと思うと、「ガラス皿、しかも前衛的な“三角形”でそれを金属で縁取った皿」が出てくる。そのジェットコースター感が楽しくないとは言わないけど、やっぱ、まとまり無ぇ~。記憶に残んねぇよな、Pascal! (^^;))
…と、“この日の人生がやり直せるなら”(^^;)、そのくらいの調子で始めるとまだ違ったかもしれない。…いやそんで、何かちょっと悔しいのがさー、前菜のケツの辺りからかなー、要するに後半戦の方が、より、良い料理が多かったと思うんだよね。フェラとトゥルボは凄く香りが研究されてたし、肉も面白いし…食えないけど(^^;)。もうほんと、最後などやっと香りと味を試しただけだけど、素晴らしい。いやー。デセールのケツのクレームとかがまたいいんだよなぁ。
まぁいつか機会があったら“作戦を練って”再挑戦したいね~!
ところで。
話の続きだけど、料理(の量)以外にもやや“これは違うな”側面は多い店なのである。俺的に。いや、高いし。
サービスなんだが、あまり皮膚感覚が馴染まないタイプ。「山の素晴らしさだ、田舎の優しさだ、魅せてやれ!」と巨人に説教はされてるような気もするが、それがあまり表れていない。とくに英語組は、イングリッシュスピーキングアビリティとホテル学校の学業成績だけで採用しちゃったんじゃないの?、って感じで、どうもサービスの心がわかってる感じが、無い。固いんだよなぁ。マニュアルに載ってない事態に弱そうだし。
それ以上に(やっぱりこの件に戻ってしまうのだが)、ええ例えば我々の愛読書「ヨーロッパ天才シェフ群像」(アンリ・ゴー/学研)の中でヴェイラ様は、
「いつだったか車雑誌の取材班が来てオレの家を見たいっていうんだよ。彼らはベンツに乗って、オレはジープで山に登っていった。登れば登るほどオレは楽しくなり幸せな気分に浸っていったのに、彼らはため息をついてたよ。確かに着飾って登ったところで何もない所さ。オレにはすべてが素晴らしいけどね。もう都会には住めない。アヌシーだってすでにむずかしいくらいさ」
と、ゴーに語っている。
こういうVeyrat語録・自然賛歌に魅かれて彼の館に辿り着いた訳だが、来てみるとさぁ。アヌシーみたいな“ド観光地”じゃ、アンタじゃなくたって、いい加減「住むのはむずかしい」だろうよ。Veyrat様の言うことは本当だし確かに矛盾してる訳じゃないけど、“アヌシー”を実際に見てしまうと、何かすこし予期していたものとズレちゃうんだよね。“そりゃ、これじゃ、山に帰りたくなるわなぁ”…ってか、「山だ!野だ!草だ!花だ!」ってアピールするなら何もわざわざアヌシーまでも降りて来ないでもよかったんちゃうか、と(^^;)。こういう所が、ヴェイラ様の巨人の感覚が、若干粗いのではないかと、俺ら小人には思えるんだよね。彼の最大の主張が「俺は山の男だ~!」ってなら、もう少しそれを我らに上手にプレゼンでけへんか?と。彼の言う山や山野草への愛が、こちらの納得になって腑に落ち…れば、それが「感動」に結びつくのだろうけどさ。客室内装の、まるでアミューズメントパークみたいな“山の農家風”も、本当に彼の言う「山の生活が俺には最高なのさ」ということの客への提示になっているか、微妙な心持ちである。
そういう意味じゃ、次はMegeveの「Mon Pere」の方に行くべきなのかもしれない(でもそちらはそちらで“スキーリゾート”みたいだし)。それこそ、いっそ生地Manigodで開店してくれればよかったのにのぉ。
(2002秋 Valence "Pic" → Veyrier du Lac "Auberge de l'Eridan" → Mionnay "Alain Chapel")
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