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第三章最終節
(前半)

 家に帰ると妻がいなかった。テーブルの上には豪華な皿、その上にはムロアジのポワレが、うまそうな匂いを立てている。そういえば今日は結婚記念日だっけ。妻の好きなアルザスの白でも飲むか…冷蔵庫の扉を開けると、中には黒衣の老婆がうずくまって一週間前に放り込んでおいたゆで卵を盗み食いし、まっ黄色の歯を見せて硫化水素の香りをただよわせながら、こちらのほうへ歩いてきた。
 「やはり、年代物はいいもんだ。あれは、紀元前二千年のライン河上流だったか、千年に一度という葡萄を口にしたことがある。あのえも言われぬ芳醇さは、千年辛抱してもういちど味わいたいくらいだ。ビロードの様な舌触り、脳天を突き抜ける力強さが味蕾を刺した。「いてててててて」舌をおさえてのたうち回る夫。女房は救急箱をどこに隠棲する黒衣の老婆はマシュマロをどこにムロアジは貴腐葡萄をどこに、そして家に帰る
(後半) kneo(その一)作
と妻がいない、ということだね」黒衣の老婆は、早口にまくしたてた。「今年はあんた、あと4、5回はカモノハシに逢うだろうね。ビルゲイツには、さんざっぱら痛い目にあわされるだろうし、自分の前世はアステカの神官ではないかと疑うことも、たまにはあるだろう。あんたがた夫婦は要するに呪われているわけだが、なあに心配はないのさ。お前の妻などは、このお話が終わると、ちゃんと帰ってくるからね。まあ心配しないでムロアジでも食べてなさい」そう言い終わると、黒衣の老婆は古ぼけた黒板に姿を変えた。振り返るとテーブルには、もうアルザスの白が立ててあり、適度に冷えているようだ。黒板には、白いチョークで

すぐ帰ります (妻)

と書かれている。そしてチャイムが鳴った。「ムロアジを食べる前に帰ってきたじゃないか」私は、そう思いながら玄関に向かった。

(了)

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第三章最終節
(前半)

 家に帰ると妻がいなかった。テーブルの上には豪華な皿、その上にはムロアジのポワレが、うまそうな匂いを立てている。そういえば今日は結婚記念日だっけ。妻の好きなアルザスの白でも飲むか…冷蔵庫の扉を開けると、中には黒衣の老婆がうずくまって一週間前に放り込んでおいたゆで卵を盗み食いし、まっ黄色の歯を見せて硫化水素の香りをただよわせながら、こちらのほうへ歩いてきた。
 「やはり、年代物はいいもんだ。あれは、紀元前二千年のライン河上流だったか、千年に一度という葡萄を口にしたことがある。あのえも言われぬ芳醇さは、千年辛抱してもういちど味わいたいくらいだ。ビロードの様な舌触り、脳天を突き抜ける力強さが味蕾を刺した。「いてててててて」舌をおさえてのたうち回る夫。女房は救急箱をどこに隠棲する黒衣の老婆はマシュマロをどこにムロアジは貴腐葡萄をどこに、そして家に帰る
(後半) kneo(その二)作
と女房がいない。女房が帰ったら旦那がいない。子供もいない。仕事もない。食うものもなければ着るものもない。けけけ。地獄の苦しみを味わうがいい。けけけけけ」っと老婆は、さも嬉しそうに笑った。「言っておきますがね、その苦しみには終わりがない。庭にはワニがいる。夏の階段にうずくまれ。ものは壊れる、人は死ぬ。一族の恨みを知れ!」老婆が黒いマントを翻すと、その姿は555匹の生きたカモノハシに変わった。カモノハシは、それぞれ勝手な文句を言い始めた。「シレ、一族の恨みをシレ」「溜まったメールを読め」「日本人は恥を知れ」「コアラばっかりチヤホヤするんじゃねえ」「豪州マッシュルームの味を知れ」「グレートバリアリーフでスキューバで遊びながら夫婦でVサインを出してるんじゃねぇ」「人間はカンガルーの脚に蹴られて死ね」「タスマニアデビルを探すんじゃない」「われわれはビーバーではない」「エアーズロックに登るんじゃない」「まあなんやのこの子は。泣いたりして」「ほらね、『現実』なんてつまらないものだ」「場所も速度も確定出来ない確率的な世界にいるんですよ」「た、タマゴで悪イか」「ケッ、サカナ。タマゴだよ、生んで、悪ィかっての、ついでに言やぁよ、トリじゃねぇ〜っての」「ウイキョウの根でも煎じて飲んでみてはどうかな?」「龍虎に味がわかるんですか?」「ほっほっほ。目覚めは近いようだのぉ」「な〜にを寝ぼけとるか、このオタンチンがぁ。たったひとつの石盤が、どの部屋にもあるワケがなかろうがぁ」「バスですか電車デスか、それともカウンセりんぐ?」「食べてみれば判る…」「これも使命だからしょうがない、私を恨まないでおくれ」「一族の恨みをシレ」「賢三が天使で鉄平が龍だったなんて気がつかなかったよな、兄ちゃん」「 龍の道をいけ…」「何言ってるの、そんなお金がどこにあるのよ」 「この道はあなたの未来に続いています」「尼寺へ行け」「眠ってはダメ」「あなた、全身に塩をなすりつけてくださいね、うふふ」ハタハタハタと穀象虫が飛び立っていく。私は急に空腹を覚え、ない料理を食べる真似をしてみた。しかし想像力を全く持たない私の腹は減るばかり。せめてメシを、と台所を探せども炊飯器が見つからない。ダイニングテーブルの上に見たことのない豪華な皿が並んでいる。でも、その上に料理がない。家に帰ると妻がいなかった。

(了)

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第三章最終節
(前半)

 家に帰ると妻がいなかった。テーブルの上には豪華な皿、その上にはムロアジのポワレが、うまそうな匂いを立てている。そういえば今日は結婚記念日だっけ。妻の好きなアルザスの白でも飲むか…冷蔵庫の扉を開けると、中には黒衣の老婆がうずくまって一週間前に放り込んでおいたゆで卵を盗み食いし、まっ黄色の歯を見せて硫化水素の香りをただよわせながら、こちらのほうへ歩いてきた。
 「やはり、年代物はいいもんだ。あれは、紀元前二千年のライン河上流だったか、千年に一度という葡萄を口にしたことがある。あのえも言われぬ芳醇さは、千年辛抱してもういちど味わいたいくらいだ。ビロードの様な舌触り、脳天を突き抜ける力強さが味蕾を刺した。「いてててててて」舌をおさえてのたうち回る夫。女房は救急箱をどこに隠棲する黒衣の老婆はマシュマロをどこにムロアジは貴腐葡萄をどこに、そして家に帰る
(後半) 坂本浩二さん作
……というのが、この一家六人消失事件の概要だ、小林君」
 そう言うと、先生は手にした資料を机の上に置いた。先生が手がけた難事件の中で、唯一と言っていい未解決事件。その内容を、小林こと、僕に先生はわかりやすく解説してくれた。だが、その内容が内容だけに、僕には理解しがたい。先生自身、解決できなかった事件だけに、僕がこの事件の概要を知りたいとお願いしたとき、「私にも、きちんと他人に説明する自信がない」と言っておられた。「結論から言えば、この事件に犯罪性は一切見られない。当初、現場となった自宅の状況を見る限り、何らかの犯罪に巻き込まれたのではないかと言うのが濃厚だった。小林君、君はファイルに目を通していた筈だから、この点は説明する必要はないね」「はい先生。自宅には、特に荒らされた形跡はありませんが、ダイニングテーブルには比較的豪華な食器が並べられており、おそらくは料理の途中であったと考えられています」
 僕はごく簡単に、ファイルの内容を復唱した。
「そうだ。が、ここに一つ疑問点がある。食器が並べられているのに、料理がない。もちろん、食べたのではない。初めからなかったのだ。そして、台所でも、調理した跡がない。食材に関しても、まともなものは一つもなかった。特に米などはそれは酷いありさまであったらしい」
 先生は、そこまで言い終わると一呼吸おき、続いて話し出した。
「食器は並べてあるのに料理はない、この点についてはこれ以上の追求は無意味だ。次の点に移る。まず、これが犯罪に巻き込まれたのではないとすれば、次に考えられるのは、オーソドックスに夜逃げ。だがこれも、この一家には当てはまらない。夫はある有名コンピュータソフト会社に勤め、四人の子供がいるとはいえ、経済的に困窮していたわけではなさそうだ。また、会社内や近所での人間関係にも問題なく、彼らが突然失踪する理由は何一つ見つからない。そして、この一家が喪失した時期、家族の誰かが犯罪に関与していた可能性も薄い。彼らは、忽然とこの世から消えてしまった。……まさにミステリーだよ、小林君」
 先生は、自嘲気味に唇を歪めて笑っている。僕はただ静かに聞き入っていた。
「が、この事件は、ある一つの物件が見つかることで一気に進展するのだよ。それが、さっき私が読み上げた文書だ。自宅にあったパソコンに残されていたものだが、これは当初内容のあまりの突飛さに、ほとんど重要視されなかった。が、私はこれを手にすることで確信したよ。これが事件の真相であったと」
 この先生の言葉には、僕もすぐには返答できなかった。僕自身、何度その文書を読み返したわからない。だが、僕には理解できなかった。これを読みながら、何度頭を抱えたことか。しかし、先生は断言したのだ。これが真相だと。
「小林君、君は納得がいかないようだね」
「はい、先生。確かに、この文書の冒頭部分は、現場の状況に酷似しています。しかし、それ以降の内容については、何とも言えません」
「何とも言えない、か。そう、そのとおりだよ小林君。私がたどり着いた結論もそこなのだよ。この事件は人知の及ぶものではない。だが、警察はそうはいかないだろう。たいして物証もないまま、半月が過ぎ警察は公開捜査に踏み切った。が、これも空振りに終わった。そこで私の出番となったわけだよ」
 先生はご愛用のデスクチェアに腰をかけた。
「私も頭を抱えたよ、最初はね。まさに雲を掴むような気分だ。結局私も警察がたどり着いた袋小路から先には進めなかった。ある目撃証言が届くまでは。」
「目撃証言?。それは一体……」
「ああ、私はそのことで、心の中を覆っていた暗雲が晴れ上がっていくようだった。だが、警察は例によって無視したようだ。常識では考えられないからね」
「常識では考えられない、幽霊でも出たんですか?」
 僕も少し疲れてきていたので冗談で答えた。しかし、先生はまじめな顔でこういったのだ。
「そう、そのとおりだよ小林君。なかなか冴えているじゃないか」と。
 その言葉に呆然とする私を尻目に、先生は話を続ける。
「前にも言ったように、この事件は人知の及ぶものではない。だから完全な解決と言うのは望めない、このことを念頭において私の話を聞いてほしい。その目撃証言とは、彼らの自宅でのことだ。たまたま近くを通りかかった男がその家を見ると、何やら人の気配がするのだ。もちろん、その男もこの失踪事件について知っていたので、不審に思ったようだ。で、玄関の前に立つと、ドアに鍵はかかっておらず、少し開いていた。彼は中に入ってみたいと言う衝動には勝てなかった。そして意を決して中に進んだ。しかし、その中には誰一人いなかった。いや、見つけられなかったと言うべきか。家の中は、何故か明かりがついていたし、何よりダイニングテーブルには食事の用意がしてあった。それが、ムロアジのポアレ、文書の最後に書かれていた情景そのままだった。そして、男はこの家にまだ誰かいるのではないかと思い、探し始めた。しかし、誰もいない。そして、男は仕事机に置かれていたパソコンの電源が入っていることに気がつき、ディスプレイをのぞいてみた。そこにあったのが、この文書の第三章だった。私が最初にこの文書を手にした時点では、まだ第二章までしかなかったのだよ」
 先生はふう、と大きくため息を吐いた。
「これがどういう事か、分かるかね小林君?」
「いえ、僕にはまったく、確かに奇妙な出来事だと言うことだけは分かりますが……」
「奇妙か、確かに奇妙な出来事だ。しかし、奇妙なのはそれだけにとどまらないのだよ。パソコンには、スクリーンセーバーと言う機能がものがあるのは小林君も知っているね。この機能は、ディスプレイの焼け付きを防ぐためのものだが、最近のものは性能もよく、焼け付きも少なくなっているので、この所は鑑賞目的のスクリーンセーバーも増えている。男のそれなりにパソコンを扱った経験があるので、このパソコンの設定を調べてみた。そして、スクリーンセーバの起動設定時間は1分だった。が、男が最初ディスプレイをのぞいたときスクリーンセーバは作動していなかった。どうだ、奇妙だろう?。つまり、男がこのパソコンに気がつく直前まで、誰かがパソコンを操作していたと言うことなのだよ、しかし、何度もいうが家の中には彼をのぞいて誰もいない」
「しかし先生、その証言に信憑性はあるのですか?」
「信憑性、か。そうだな、私もそう考えるだろうな、その男と言うのが、他ならぬ私自身でなければ、な」
  先生の言葉に僕は呆然とした。先生の言葉を疑うわけではないが、現実にはありえない話に僕は度惑いを隠せなかった。そして、何の言葉もでなくなってしまった僕を見ながら、先生が再び口を開いた。
「この話を無条件に鵜呑みにするのは、よほどの馬鹿か、お人好しぐらいなものだ。小林君が疑うのも無理もない。私自身、その時のことが現実なのかそれとも幻なのか、掴み兼ねている。本当に、あの家に辿り着いたのは偶然なのだ。私は警察から渡された資料に目を通しただけで、現場には一度もいっていない。もちろん住所は知っていたので、その家の前で気がついた。が、小林君も知ってのとおり、私は極度の方向音痴だ。たとえ、地図があっても、目的地に真っ直ぐ着けたためしがない。だから、君のような優秀な助手が必要なわけだがね」
「はははっ、僕は先生のナビゲーターですか。で、その後はどうなったのですか?。捜査に進展はあったのですか?」
「捜査に進展?。ないよ、ただ謎が深まっただけだ、警察にしてみればね。で、私はそこでお払い箱。今じゃ警察のほうも捜査班の規模を縮小し、実際の捜査はほとんど行われてはない筈だ。このまま、迷宮入り決定だな」
 先生との話はここで終わった。なぜなら、この後、一本の電話によって、それどころではなくなってしまったのだ。
「はい、もしもし、はい私ですが……、え、??(検閲により二文字削除)二十面相が!!!。わかりました、すぐいきます。小林君、すぐに支度を!。奴がまた現れたそうだ!」
「はい、先生!」
 この後、先生と??二十面相との世紀の一戦が幕を開けるのだが、それはまた、別の話である。

 この事件ファイルの最後に、先生は直筆でこう書き残してある。
『この物語はフィクションあり、登場する人物・団体名その他は、実在のものとは一 切関係ありません』

ミステリーシアター『小林少年の事件ファイル』
第666話『消えた家族』を終わります。

次回は第667話『時計館連続殺人事件(六回シリーズ)』の第一回をお送りします。
ミステリーシアター、また明晩。

(了)

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