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第三章 「妻の帰還」

☆第三章「妻の帰還」 第一節「不在は始まる」

 家に帰ると妻がいなかった。
 テーブルの上には豪華な皿が並んでいるがその上に料理がない。「ん?」ちょっと不思議な気もしたが、とりあえず上着を脱ぎ、仕事机の上のマックに向かった。進行中の仕事が気になっている。そろそろUKからのメールが届く筈なんだが。だがメールボックスに到着しているのは差出人に心当たりのない一通だけだった。龍<ryu@kowloon-castle.or.hk>からのそのメールには「すぐ続きを書いて親<antique@kowloon-castle.or.hk>へ送ること。持ち時間は24時間」とあり、なにやら小説の断片のようなものが数行書いてあるだけだった。どうも謎めいている。誰かのいたずらだろうか。UKの仕事先はこのアドレスを知ってるが、モンティ・パイソンも見たことがないという堅物だ。まさか彼ではないだろう。
 メールに気をとられていたが、ふと気づくと、台所の方から焦げくさい臭いが漂ってくる。鍋でも火にかけたまま出かけてしまったのだろうか。メールをそのままにしておいてとりあえず台所へ入った。コンロは全て消えていた。台所には焦げくさい臭いが充満しているが、これと言って臭いの元が見当たらない。
 そうこうするとMac からメールの着信音が聞こえた。「あなたの持ち時間がもうすぐ切れます。1時間以内に親<antique@kowloon-castle.or.hk>へ送ること。」、先ほどのリレーメールの締切のようだ。興味を覚え、キーボードへ向かったが、どう返事を書いたものか考えこんだ。と、すぐさまに次のメールが舞い込んだ。「あと、55分です、速くお願いします」。読んでいるうちに、2通のメールが来た、「滅亡まであと53分です、速くしてください」。もう一通の差出人はカモノハシという名前…誰だろう、「骨董屋に返事を出すんじゃない、添付したプログラムを実行してみろ」とあった。
 確かにbloodという名前のプログラムが添付されている。あと、53分で滅亡?ってなんなんだ・・・。不安な気持ちはあるものの、まだ53分もあるんだから、まっいいかと一人で納得し、bloodというプログラムアイコンをダブルクリックした。するとどうだろう、ネットスケープが立ち上がり真っ赤な壁紙に彩られたページが現れた。その中央にはきれいなクリーム色の一目でスージークーパーとわかるテーカップが1つ。カップの中にはカモノハシがこちらに大きなくちばしを向けてたたずんでいる。
 私は、その異様な取り合わせを不思議に思いながらも、画面の中のカモノハシのくちばしのあたりをクリックしてみる。Javaアプレットのダウンロードが始まった。まもなくすると、画面のカモノハシが動き出した。カモノハシは背後からメートルに掴まれて、ぴかぴか輝く複雑な装置の天辺に大きく口を広げたジョウゴへと放り込まれる。メートルは、容赦なくハンドルを回すのがデフォルトのアクションらしく、カモノハシは生きたまま血を搾られている。なんだか残酷なアプレットだな、と私は思うが、異様にリアルなアニメーションから目を離せない。caneton rouennais a la presseとかいう料理があったが、あれはルアン産のアヒルの子を血抜きせずに蒸し焼きにし、ガラを砕いてプレス器で絞ってソースにするもので、カモノハシを生きたまま粉砕する料理など聞いたこともない。
 これは料理ではない。
 儀式…そう、生贄の儀式!
 おお、その時!
 私の脳裏アステカの懐かしい日々よみがえった!
 私アステカの神官だった。生きた人間の心臓えぐった。黒曜石ナイフ。おお、私の黒いマシュマロ。私は追憶しながら妻の夫を見た。妻の夫は目をそらした。かわいそうに夫。妻がいなくてしょげているのか。大丈夫、私もう心臓えぐらない。太陽死なない。近代西欧とアステカと融合して今私マイクロソフト神官社員、我らが心の太陽、ビル、あなたの機械アステカの神託より速く惑星軌道を計算し、えぐらずに心臓写し出して神に捧げ、OSけして沈まない。光る氷晶石のモニタ氷りつく涙を集めたマウス。ビル、あなたは。ピシッ。い、痛いっ。マウスを握るこの手の腕の、い、痛い、痛みの記憶、これは何だ、、
 ……「あと、5分です、速く」 Macが叫ぶ。本文の最後が見える。『〜が私の前でささやいている。私はもうどこへも行』

☆第三章「妻の帰還」 第二節「小説世界」

 Macの音声にせかされて、私はわけのわからないまま、この小説のようなものの続きを打ち込むと、親だというアドレスに宛てて、メールを送った。ところが、それとほぼ時を同じくして「タイムアウトです」というタイトルのメールが私のメールボックスに届いた。
 とたんに、世界が暗転した。
 『〜が私の前でささやいている。私はもうどこへも行く必要はないのだ』
 私の意識はそう考えていた。その意識は、自分であるような、ないような、日本語のような、文字コードのような、ニーモニックのような、16進数のような、ビット列のような不思議な感覚にとらわれた。細胞はすべて解体されデータとして以外の意味は持たず、私の意識はすべてデジタル化された世界の中に沈み込んだ。
 D5 AA 96な、半透明の円錐形がすばやく近づき、私にささやいた「10010110101001」。クールな素振りがFF FF。INC AX。JNZ loop1。すべての叫び声が1111000011110000なんだよう。1111000011110000日本語に直すとイイイイオオオオイイイイオオオオ私は吼えた。イイイイイイイオオオ〜〜イイイイイオイヤイオオオ〜〜〜〜〜〜〜……?不意に背筋を戦慄が走り抜けた。「変だ」変だ何かがおかしい。私は吼えた。イイイイイオイオイオ〜〜イオイオイイイオヤイイオオオ〜〜〜〜〜〜〜……? 111110101010101110811000「8だ」8が混ざっている!!
 その時背後で「ハハハハハハハハハハクショイ」と声がした。誰だそれは背後にいるのはイヤちょっと待て。私の中で激しい葛藤とともに浮動小数点が揺れ動く。待て考えろ。…88888888889401だと? 背後の声はなおも言う。「バカモンのニブチンのあんぽんたん。8の中には9も4も1も0もあるのじゃ。一度8にたどり着けば、あとはどこへでも行ける。お前に教えてやれるのはそこまでだ」…遠ざかる声にガバと振り返る。誰もいない。割れた鏡が落ちているだけ。
 何だこの古ぼけた鏡は。拾ってみると、縁には楔様の紋様がビッシリと刻まれ、その間に二、三粒の米粒が挟まっている。米粒を取り払おうと、縁を指で撫で…100111011001…!21H…RPN~LSB。〜指先これは私の指先、コードに解体した私の意識、共鳴?これは共鳴?〜動揺する私の耳をつんざく A/D変換されたピーギャーという音のデータストリーム。鏡は鈍い光を発しはじめ、鏡面に浮かぶのは横にした8の字、これすなわちアンフィニ:無限と読める。してみると、この鏡、無間地獄への入り口か。楔様の紋様は無様な神様の有様か逆様の仏様の...
 「まか8インチの夢幻なり8と二分の一の南無三宝」
 またも背後から意味不明な合いの手が入って、うろたえた私の頭は発振する。だ誰だ貴様は!サッとかざした鏡面に映ったのは、なんと亀の頭だ。「こいつ玄武か!」だが手にした鏡が激しく振動して勝手に私の頭とネゴをネゴトをタワゴトを交信しはじめた。「○○の二分の一は○なり、○は世界なり、○は夢幻なり。阿耨多羅三藐三菩提!」この言葉が頭に流れ込むやいなや、鏡面は何か別のものを写しはじめた。中は地獄か極楽か、覗きこもうと思うが発振した私の頭はぶれつつも後ろを向いてしまう。そこには鉢巻きをしてヌンチャクを持った亀が立ちはだかっていた。六方を踏んで見栄を切るなり「我こそは正義の味方、般若波羅蜜多心經を唱えれば、どんな悪をも追い払ってくれよう」と叫ぶと、手にしたヌンチャクを振り回す。
 発振の止まらない私の頭は、今度は割れた鏡と正面から向かい合った。そこには、どこかで見た風景が映っている。下の方に、パソコンのキーボードのようなものが見える。「ここが、おまえの部屋だ。おまえの居場所だ」割れた鏡が私の前でささやいている。私はもうどこへも行く必要はないのだ。

☆第三章「妻の帰還」 第三節「禁断の果実」

 甲高い警告音が鳴り続けていた。頭蓋骨を揺さぶる耳ざわりな音。手元を見ると、キーボードの「8」の上に黒い物体がへばりついている。なんだ、こいつのせいか…仕事机のMacの明るい灰色のキーボードにねっちりと腰を据えたそれは妙に柔らかく心をそそる。キートップに残らぬよう丁寧にはがすと思わず、私は「それ」をもぐもぐと食べてしまった。マシュマロの食感と甘美な味…陶然としたその時、メールの着信を告げる音が聞こえた。
 差出人は、またしてもカモノハシだ。件名は「Re:メール読んだか」とある。この無礼な卵生哺乳類からのメールは読みたくない。前に読んだときには、よくは覚えていないのだが、何かとてつもなく忌まわしいことが起きたような気がするのだ。いや、だんだん思い出してきたぞ。口の中に残っている黒いマシュマロの香り。甘美な後味。わずかに鼻をくすぐる酸味。それは血の香りだ。生け贄の心臓からほとばしる鮮血を浴びる至福の喜び。巨大な石の神殿。祭壇を前に刀を握り、体中を血に染めて恍惚の表情を浮かべる自分を、この黒いマシュマロが思い出させた。
 いや、このイメージは何だ。
 そんな記憶はどこにもない。
 しかし、口に残るマシュマロの香りが、意識のコントロールを失わせる。呆然と画面を見つめていたが、勝手にカモノハシのメールが開かれた、「一族の恨みを知れ」。
 その瞬間、右腕がポロリと落ちて、腕の骨が剥き出しになった。激痛が体を走る。これが一族の恨みなのか。犠牲にされた者の復讐なのか。しかしあのイメージの自分は到底自分とは思えない。気の遠くなるような痛みからマシュマロの香りで我にかえると、、右腕が正常に戻っている。肉体には何の異常も見られない。唖然として右腕を見つめていると、勝手にカモノハシのメールが開かれた、「一族の恨みを知れ」。
 その瞬間、今度は左腕がポロリと落ち、続いて耳介と鼻梁が転がるのが見えた。
 一体、私がどんな恨みを買ったというのだ。そう思う間もなく、再びカモノハシからメールが届く。「血のソースの苦しみを知れ」。マシュマロの香りのなかで、私の肉体は足先から崩れていく。脳裏に、メートルがカモノハシを砕いて生き血を絞るJavaアプレットの記憶が蘇る。薄れる意識のなかに、Javaバイトコードのデータ列が流れていくのがわかった。
 私は、心の太陽に向かって叫んだ。「ビル! ビル! これどういうことか! ビル、私あなたの忠実しもべ、なのにつま先崩れる、何故か。太陽やぱり死ぬか。OSやぱり沈むか。生贄足りないか。私生贄捧げる。生きた心臓またえぐる」。
 これをきいて妻の夫も対抗上声を張り上げようとしてアップルの社長の名前を知らないことに気づいた。「こういう時はどこに問い合わせれば…」で、ついマイクロソフトサポートに電話をかけてしまった解体された指。「はい、ユーザサポート…」「わ、わたし、いったっいたいだだだれれ。だっ」。赤い。赤い血だ。血だけが見える。これは妻の夫の心臓の血か。なれど私の心臓か。生贄は誰だ。アステカの太陽恋しい私ナイフ突き立てビ、ビル見てるか。私生贄なのか。これは妻の夫の顔か私か。妻の夫の頭の中の現実が激しく震える。キーン。…押入の中からの甲高い発振音に気がついた。
 そこにはたしかPC9801RAを保管してあるはず。押入の戸を開ける。瞬間、地面が揺らいだような錯覚に囚われた。開かれた押入の中、そこには漆黒の闇があった。混乱が収まらない脳と体。あの甲高い発振音はまだ続いている。やがて闇の中からぼおっと人型が浮かび上がった。
 妻だ。
 いやちょっと待て、私の目に異様な妻の姿が映った。妻の体とPC9801RAが一体化してるではないか。「やっと逢えたわねぇ、あなた。これであなたもわかってくれるかしら。夕食の支度がはかどらないわけを」…艶然とほほえむ妻。その胃袋あたりではPC9801RAのハードディスクが上げる不気味な唸りが次第に高まり、私の頭を揺さぶり始めた。「だけど言ったじゃない。夕飯前の間食は駄目って」妻の声が遠ざかり、その顔が遠くでクシャリと歪むのを見た。
 それが最後だった。
 闇が私の目に耳に口の中に侵入してきた。マシュマロの食感と甘美な…この味こそが罠だったのか。

☆第三章「妻の帰還」 第四節「8の老人」

 押入れの奥に広がる無限の闇を前にして私は立ちすくんでいた。しかし、このままでは一生妻に再会出来ない気がする。思い切って押入れに足を踏み入れると、一瞬満天の星が見え、そこは真っ白な部屋だった。
 振り返ると黒い石盤。白と黒のマシュマロが山積みになった机が一つ。神経質そうにメガネを直す老人が、夢中になってマシュマロを並べていた。白黒白白白白黒黒、しばらく見つめてまた並べ直す。黒白白黒黒白黒白。「うむむ…」。老人は低い唸りともため息ともつかない声を発しながら盤上を見つめている。
 「ご老人、それは…」私は思わず声をかけていた。と、「ってゆーかぁ、誰っ?!」慌てて白と黒のマシュマロを盤上から叩き落す老人。「い、いや、これは失礼。そんな驚かせるつもりはなかったんですが」と謝ると、老人の表情も緩んだ。「ってゆーかぁ珍なこと、陰を編み陽を積めば石盤は世界を映す、なれど8は末広がり。蛸の腕は8本。蜘蛛の脚も8本。玄妙じゃな。ってゆーかぁ、誰っ?!」老人は、また奇声を上げて、畳の上のマシュマロをかき集める。「いや、私は単なる妻の夫ですが」老人は安心したらしく、落ち着いた動作でメガネの位置を正したが、ふいにびっくりしたように私を見つめた。
 「ってゆーかぁ、誰っ?!」その眼光は鋭い。「いや私の妻が押入におりまして」説明を始めたが、老人は私のことなど忘れたように、拾ったマシュマロを盤上に並べなおしながら呟く。「白のマシュマロは善行の、黒のマシュマロは悪行の象徴。そして、白い部屋は空(くう)の象徴。ってゆーかぁ、誰っ?!」
 私には、これ以上このアルツハイマー症的老人との対話を続ける気持ちはなかった。一刻も早く妻の元へ行き、PC9801RAと合体した妻の体でMS-DOSを起動しなければならないのだ。しかし相変わらず、老人は呟いている。
 「白と黒の隣りには暗くて深い河がある。暗くて深い河なれど、エンヤコラドッコと船を漕ぐ。黒のマシュマロはマシュマロマンに変身だ、さあいけゴーストバスターズ」今度は歌ったり、叫んだりしはじめた。聞いていると頭が痛くなってきた。こんなことをしている場合ではない、早くPC9801RAと合体した妻の元へ行かねばならない。
 「変身、合体メカは数いるが、その中でも優秀なのがこれ」老人は手もとの白マシュマロを握ると、宙に放り投げた。床に落ちた白マシュマロは、あたかも細胞分裂の様にみるみるその形を変えていく。唖然と見守る彼の前で白マシュマロはついに人間の形となった。そして立ち上がり、正面から彼を見据えた。「あぁ、あ、あなたはビ、ビル?!」
 「くっそー今までうまくやってきたのによぉ、何が独禁法違反だぁ、くのやろぉ、誰がチクッたんだ?アン?まさかジョブスのヤローじゃねーだろうな?」
 「私の真似をするのはやめていただきたい」
 落ち着き払った声が背後から聞こえ、振り返るとそこにもビルがいた。こちらは黒マシュマロから変化したものらしく、髪も目も服も指輪も何もかもが黒い。「私に瓜二つの姿でその様な下卑た言葉遣い、どういうつもりか知らぬが失敬千万である。即刻改められよ」。髪も目も服も指輪も白いビルは鼻で笑って「貴様なんかおウチに帰って泣きながら母ちゃんのオッパイでもちゅうちゅうしてやがれってんだ。あっかんべー」と言い放つ。
 二人のビルは、はったとにらみ合ったまま、じりじりと時計まわりに動き始めた。間に立つ私にはとんだ災難である。呆然と立ち尽くす私の前を白いビル、黒いビル、そしてまた白いビル、黒いビルが通り過ぎ…白ビル黒ビル白黒白黒…意識朦朧としてきた私に、白黒ストライプの向こうで老人が言った。
 「さあ選んでみろ、お前さんのビルはどちらだね?」無数の白と黒のマシュマロを放り投げると、それは白と黒のビルとなって8列に並び始めた。「すべては血のマシュマロとだし汁のマシュマロでプログラムされている。お前は自分自身が何か、まだ気がつかないのか?この列こそがお前自身だ」。白黒白白白白白黒、黒黒白白白白白黒、、整然と並ぶ白黒のビルのパターン。そのパターンが本当の自分を目覚めさせた。みずからをリセットし、PC9801RAとなった妻の中でブートを始めた。
 そして私は起動した。

☆第三章「妻の帰還」 第五節「ブートストラップローダ」

 RESET信号がHIGHになり、そしてLOWになった。COOLに立ちあがる俺。EPROMから朝飯のPOPをFETCHする。MEMとPERIをCHECK。「ピポ」なんて挨拶もしてみる。OK、PC9801RAは今日も絶好調だ。FDDはどうだ。ガコッ。いまどきFDDもねえだろうよ、と年寄りのFDCが首を振る。んじゃHDDいってみようか。そう思ってSTIしたら、なんとマスクしてあるはずの割り込みが来た。
 あ、ベクタが書き換えられてらあ。未知のADDRESSが・・・が、ど、どうしたんだ??なにいってんだ俺?え?ガリギゴ・・・ヒューン・・・・。何も聞こえなくなったぞ、おい。う、動かねぇよ、おい。何も動かねぇじゃないかよ、勘弁してくれよ。くそー、こうなったら気合いしかねえな。よし、気合い入れんぞ、気合い。グゥーっ、力んでどうすんだよ、気合いだよ、気合い!うぅーっ!・・・うめいたって駄目だよ、なにやってんだ俺は。ばか。やっぱ気合いだよな。ファッ、チューッ、チョーンッ!!
 ――その頃、妻の夫は断片化したデータの海を、しゃにむにバタフライで泳いでいた。割り込みをかけるには、なんてったってバタフライが一番なのだ。グイグイと快調に飛ばし、もう少しで妻に手が届きそうな楽天的な気分になってきた、その時。突き刺すような痛みが頭を三度貫き、「な、なんだぁ?」頭を触ってみると脳天にデカい先割れスプーンが突き刺さっている。
 「やーとつかまえたス」グニ。スプーンが妻の夫の頭部の半分を壁に押しつけて潰した。「苺のくせにぃ。ミルクの中をぉ。泳ぎ回るなよコラ」グニグニ。潰れた夫の頭部から赤い汁が流れ出し、ミルクと混ざってピンク色になった。「一族のぉ。恨みをぉ。シレ、と」妻の夫の頭部は巨大な血塗れの嘴へと運ばれて行く。夫は慌ててミルクの中を逃げまどう。「ふにー、まどろっこシ」。カモノハシはミキサーの中にすべてを入れると、スイッチを入れた。
 夫は、苺分子レベル、プログラムとして1バイト単位まで分解される。「さて、ここにマシュマロを入れマショ、入れマショ」。ほおリ込まれた血のマシュマロは、苺ミルクの中に溶け出し、D.N.A.レベルで一体化し始めた。それは98RAの中で起動する夫プログラムへウィルスとなり、一族の恨みを運ぶキャリアとなる。
 「良く混ぜマショ、混ぜマショ」、しばらく経った後にカモノハシはミキサーのスイッチを止めた。ミキサーの中には血の色に染まった苺ミルクが出来ている。「さ〜て、お次ぎはこのプログラムを固めマショ、固めマショ」。ミキサーから出した苺ミルクを型の中に流しこみはじめた。型は5インチフロッピィディスクの形をしている。
 「これを冷蔵庫の中に入れるんですかね、服部さん。」(声色を変えて)「いや、ぼくは違うと思うな。蒸し器で蒸すんですよ。血はね、蛋白質ですから温度を上げると固まるんですよ」カモノハシは嬉しそうに一人芝居をしながら手を動かしている。5インチフロッピィディスク型の苺ミルクが固まると「いやー、うまそうだ」と言いながら、カモノハシはそれを大きなくちばしで挟み、PC9801RAのディーエヌエーをちょっと混ぜテ、などと鼻歌を歌いながら8インチフロッピィディスク型の皿に盛り付けていく。
 「さて苺対決もいよいよ試食の開始でス。一品目をカモノハシャ自ら取り分けマショ」とあくまで陽気に蹴爪をかちゃかちゃ言わせながら、これも血のように赤いテーブルクロスのかかった試食テーブルに運ぶ。テーブルには、全身が白ずくめの紳士と全身が黒ずくめの紳士が、端正な顔に微笑を浮かべながら静かに舌なめずりをしている。
 「シャーて蒸苺ミルクをおめシャーりくだシャい」とカモノハシが格好を付けるのを無視して、二人の紳士は皿に食らいついた。行儀も何もない犬食いに苺の赤いしずくが白服黒服に飛び散り、あっという間に食べ終わる。黒服はナプキンで口をぬぐいながら「ふむ、いいだろう。マシュマロと抱き合わせなら売れるな」すると白服が「マシュマロは、ちゃんと白黒にするんだぞ」と念を押す。

☆第三章「妻の帰還」 第六節「母の思い出」

 「ぼ、ぼく、ぼくね、ほんとはね」「まあなんやのこの子は。泣いたりして」…蒸苺ミルクを食べ終えたビルの口を、母の白い指がそっとぬぐう。「ぼ、ぼくほんとはね、ウィンドーズなんて好きじゃないんだ。エムエスドスの方がずっと好き」「そうどすか…」窓の下には賀茂川の流れがキラキラと、朝の日射しを弾いている。「ごらん、ビルちゃん。橋や」母の指さす先に、奇妙な形の橋が架かっている。「賀茂の橋や…」「カモノ、ハシ?」「そうや。カモノハシや」そうつぶやいた母の眼に、妖しい光が満ちてくる。意識の底に深く沈みこんでいたものが、湧き出てくるように。
 「お、おかあちゃん…」「ビルちゃん、なんやそのしけた顔は。そんな顔しとったら、司法省のお役人らのいい鴨に、かも、カモノハシャ…」「おかあちゃん!なんで、なんでそんなにおっきい嘴がついてるの?」あとずさるビルに向かって母が叫ぶ。「一族の恨みをシ…、ビ、ビルちゃん、そんなことはんどうでんええでスけん、あ、明日のお稽古の支度は出来てますのん?」と、気を取り直し、嘴を隠し襟元を押えながら尋ねる。ビルは毎週木曜日には、橋を渡って川の向こうの歌舞練場に通っているのだ。
 「あ、いっけない、すっかり忘れてた。おかあちゃん、明日はね、花柳チョロギ先生がPROLOGの振りを付けてくれるんだ。♪ハイハイ揃ってちょと再帰〜、って。だからぼく、LIST 14の、ほら、この最初の関数、どこがいけないのか聞いてみようと思っているんだよね」ビルは自分が書いた舞踊プログラムのリストを、誇らしげに見せる。しかし鴨嘴である母には、それがプログラムであることさえわからない。「花柳センセは怒ると恐いよって、気いつけなはれや」などと口からでまかせを言うばかりである。
 加茂川の流れは速く、轟々と音を立てて橋の下を流れている。幼いビルは、ちょっと悪ふざけしたい気分になった。「ねえ、水泳は腰痛にいいんだってさ。加茂川でバタフライの練習でもしていけば?」丸みを帯びた母の背を軽くとん、と突く。「あわあわ、ビルちゃん何しやはりますの〜ん」他愛もなく平衡を崩した鴨嘴は、欄干をつるりと越えた。どよめき渦巻く加茂の流れ…その色がたちまち真紅に転じ、母の叫びを呑みこんだ。顔面蒼白、白髪となったビルは走る。誰かタレカたすけてドコへ?
 歌舞練場の下流では、中国政府と京都板前協会合同プロジェクトによる世界最大のメートルを建造中だった。「ビルちゃ〜ん、いやどすわ〜、お茶漬けでも〜」。母は巨大なメートルに飲み込まれ、血しぶきを上げ第一の犠牲者となった。「あいや〜、悲劇的時間矛盾」、人民服の技師が叫ぶ。時間軸に逆らって流れる加茂川では下流は過去になる。過去で母が死ねば、その背中を突いたビルちゃんは存在しないはず。タイムパラドックスが起きる。行き場を失った時間は狂い、OSの起動は無限ループに陥り、永遠はPHSを拾い、Windowsはバグなく動き、MS-DOSは俺の体の100000倍ものメモリを要求し。。。
 「MS-DOS」、懐かしい響きがビルちゃんの琴線に触れ、そこへ繋がるNMIがアサートした。割り込みルーチンがけたたましくうなりをあげる。「MS-DOSどすぇ〜」、メートルのハンドルを回す手が思わず滑る。手が滑り、ハンドルが逆回転する。これまで搾り続けてきたカモノハシの生き血が、ジョウゴから溢れ出て、加茂川へ流れ落ちる。生き血は川を下り、母の骸と同化する。母の骸でも割り込みルーチンがうなりをあげてうごきはじめる。すわ、鴨嘴の復活か、俺も100000倍のメモリを要求するMSDOSと同化する。メモリの足りない俺の体は瞬く間にエラーを発生する。
 エラーはビルちゃんに言った。「ハーイ、my name is エラ」これを聞いた母の骸の割込みルーチンが処理を中止して駆けつけた。「変〜身っ!」千の仮面を持つ男・ルーチンは、たちまちエラー処理ルーチンとなりエラに襲いかかる。「オーノー、ルーチン、ゴーhome」逃げ回るエラ。「待ちやがれ」追うルーチン。火のついたように泣き出すビルちゃん。母の骸はほったらかしだ。それでいいのか、ルーチン!?

☆第三章「妻の帰還」 第七節「オリンピック」

 エラは一心不乱に走っている。後ろから追い掛けるルーチン。当初はルーチンがすぐに追い付くように思われたが、思いのほかエラが善戦している。沿道の人たちも皆エラを応援している。
 「さてここからが心臓破りの坂です。どうですか解説の渋谷さん。」「エラのスタミナがどこまで持ちこたえられるかが鍵ですね。」「なるほどエラのスタミナに注目してみましょう。さてそれでは第一中継車の西さん。西の乗る車は、車は車でも火の車だった。西は、二人より必死な形相で走りなながら、中継をはじめる。「エラもルーチンもいい走りをしてます。しかし、エラが善戦してるというよりは、ルーチンがもたついていますね。スパート3回ぐらいしないと届かないでしょう。略してSP3、なんて。でも、短距離ならば私には勝てませんよ」という。
 南青山の坂を登りきり、渋谷への下り坂へ向かうあたりで、西は突然涙声になる。「ぼくは、この南青山が好きやったんや。なつかしいなあ。坂の途中のフレンチレストランでビルちゃんと二人、熱く語り合ったのは何年前やったかなあ。でも、ビルのあほう、ぼくがデザートのクレームブリュレを二人分平らげちゃったら、それっきりふくれっ面。あげくに合弁解消や。かなんなあ」西がぼやいているあいだに、中継車は初台への坂道にさしかかった。
 急な昇り坂である。先頭を行くエラ、それを必死で追うルーチンの姿が、中継車の前からグゥンと突き上げられるように昇って行く。目も眩むような坂なのだ。西も見上げるようにしてマイクに向かっている。まっすぐ伸びる国道の白いセンターラインは今や眼前にたちはだかるよう。その白線の先を目で追うと軌跡が途中でグニャリと歪んだように見えた。フラフラと踊るように揺れた線はその先で88夜の別れ霜が蒸散したかの如く立ち現れては消え、如何なる馬鹿者にもあと10日もすればあの暗い時代へと逆行する胎動を予感させる。
 一方依然エラの足取りは軽い。前を行くエラの長く美しい脛に欲情したルーチンは給水ポイントで恥も外聞も無く、高栄養飲尿療法の始祖ミスター・セキモトの「糖尿バイオドリンク98」を一気に飲み干し、体内に充満するセキ翁の毒エキスもろとも自爆覚悟でエラを我がものにせんと、尋常小学校の思い出で胸をあたためハートに火をつけてスリーツーワン、ゼロイチニーゼロ。発射…と勢いこんだルーチンは、あろうことか、坂をころころと転げ落ちてふりだしに戻ってしまった。
 茫然とたたずむルーチンを尻目に、大きなスプレッドイーグルを鮮やかに決めたエラは一目散にひた走る。遠ざかるエラの足音。物陰からこっそり覗くセキ翁のしわぶき。沿道で小旗をうち振る花柳チョロギの吐息。これらを鍋に入れ、一昼夜コトコトと煮込んで煮込んで、アナコンダ、突然、カーリング会場の氷を破って現れたアナコンダ、しっとりと味が染みたチョロギ、エラ、ルーチンにかぶりとかみつくと、丸のままのみ込む。哀れなり、胃酸の海で生きたまま溶けていく。中継車の西は、アナコンダの目に光るメガネに気が付いた。
 「お、お前はビル…」、西も言葉が終わらないうちに、アナコンダに飲み込まれる。その時、セキモトはアナコンダの前に立ちふさがって、ランゲル・ハンス指揮するウィーン・インシュリン・オーケストラをバックに『糖尿の歌』冒頭のソロを朗々と歌い始める。
 「ああ、友よ、このような食事ではなく、摂取エネルギーを適正に制限し、各栄養素の摂取バランスに注意して規則正しく食べようではないか。友よ、君のブドウ糖負荷試験結果を見たいものだ」
 アナコンダはまじめに聞いている。思い当たることがあるらしい。セキモトは調子に乗って「晴れた空〜そぉ〜よぐ風〜」ああっ、その歌は違う!「みなと〜出船のぉ〜」ぜんぜん違〜う!さすがは日本のオヤジ。中継アナウンサーはすかさず「おやこれは懐かしい、岡晴夫、憧れのハワイ航路ですね」と機転のきくところを見せる。
 「待ってました!おかっぱる!」観客席から老人達の声援がとぶ。呆然とする小沢征爾。怒ったアナコンダはクワッと口を開け、卑弥呼のコスプレをして聖火台で踊っていた伊藤みどりをがぶり。「よしそこだ!」叫ぶ浅利慶太、しゅ〜という音がする。伊藤みどりの体はみるみるしぼんで小林幸子になる。豪華なステージ衣裳がライトに映える。アナコンダは勢い余って聖火もろとも聖火台に落ちる。「さあ点火しました。平和の象徴であるアナコンダによる点火は、日本の平和を世界に発信することでしょう。」
 力士のバックコーラスによる小林幸子の絶唱が空に響く。観客席の老人達から喝采があがる。

☆第三章「妻の帰還」 第八節「脱構築の宴」

 あれから10日が過ぎ夏も大幅に近づく98夜、飲み込まれずに済んだ者の一人、セキモト翁は、何故かアナコンダに少し気に入られ、すっかりバイオMateとなってセキモトドリンクを酌み交わしていた。
 「アナちゃんよ、アンタ色々飲んだからかね、何か妙な口臭がするね。この香りはレドモンド産95年物頻尿OCXサノバビッチ風かね。」
 「セキモトじい、それはワシの不健康が自らに相応しい病理を選択した差異の戯れに過ぎないんよ。その点爺はまだまだフラットに形而上学的やね。クシェシェシェックを知っとるかね」
 「クシェックシェック?しゃっくりみたいな名前だの」
 「クシェックシェックやないで爺、クシェシェシェック。フランスのピアニストや。ラヴェルの『差異の戯れ』しか弾けんちゅうことで有名や。聴くか?」
 アナコンダはCDをかけた。
 <…ひとつ積んでは父のため…ふたつ積んでは母のため…>
 「アナちゃんよ、歌ってるがな」
 「こ、こら差異の戯れやのうて賽の戯れや。わての腹ん中で誰かが歌うとる。誰だ、お前は。」
 「誰だ、私の邪魔をするのは。気持ちよく歌いながら、積んでいるところを呼ぶやつは。」、とアナコンダの腹の中の賽の河原で、将棋の駒を積む米長が答える。玉様を詰めることは苦手になり、駒を積むことしかできなくなった米長。爺とアナコンダが歌にあわせて、お戯れをはじめる。
 「あれ〜〜〜〜〜。」アナコンダが突然脱肛する。腹の中の河原にいた米長もただではすまない。河の流れのように〜〜、突然、コブシを利かせた美空ひばりの歌が響く。三途の川を流れていく巨大な黄金のピラミッド。その頂点にカラオケマイクを持って立つのは、死んだはずのビルの母。
 「おかあちゃん・・」、アナコンダに変身し公聴会から逃げていたビルは、母に会いたさに自らの口のなかへ飛び込んだ。外と内が裏返り、ビルは自分自身の中に閉じ込められた。母はそんなビルの苦しみも知らず、スポットライトを浴びて自分では笑みを振りまいているつもりだが、実際には嘴が少し歪んでいるだけだ。白装束の襟が解けて水に濡れた黒い胸毛が覗いているのも知らない。
 一方、自分自身の体内に逃げ込んだビルは、自らの体内で次のようなものを発見する。花柳チョロギ先生の金の入れ歯と簪。エラのイアリング。ルーチンのチャンピオンベルトのバックル。西の銀縁眼鏡と携帯電話。そして視界が曇る。ビルの肉体を構成する有機物も消化され始めたのだろうか、足元がヌルヌルして落ち着かない。しっかり握った筈のチョロギ師匠の簪、その指先の感触も遠のいていく。やがてビルの意識も…意識?それは、何?
 「例えばグルリの地平を知の荒野として想定してみよう。早朝の夢が逆光のようにボクの鏡像の修辞を困難にしている。でもよく目を凝らしてごらん。表徴の風に吹かれて大きくうねる土の嘴の間に巨大な黒い影と巨大な白い影がゆらゆらと揺れるように脱糞している…ハイ、ここでカメラぐっと寄って。そうそう、その尻の下を狙う〜、いいよヤマモトちゃんその調子…その香りは蒙昧の極み。その色は模糊とした幻。では、その味は?」
 ぱちりと目をあけたビルはあたたかな苺色の毛布にぬくぬくとくるまっている。今しがたまでみていた夢のとろりとした甘さがふと甦り、おなかがキュウと鳴った。ぐぐぐぐぐ。毛布がグイと体を締めつける。
 「土煙の彼方にボクは見た。翼をもった栗羊羮が空を飛んでくるのを。後ろにはやはり翼を持った芋羊羮と蒸し羊羮を従えている。栗羊羮がひと吠えすると空が俄かに飴色にかきくもり、お汁粉の雨が降ってきた。ボクは口をあけてお汁粉を味わう。煙の向うで安倍川餅と柏餅が飛び跳ねている。煙に見えたのは黄粉の煙、芳しい薫りがボクを取り囲む。足元では赤福とういろうがボクにじゃれついている。ボクは甘い幸せを噛み締める。」
 目が覚めると、ボクのベッドのそばで母が居眠りをしているのが見えた。いや、ボクが寝ているのはベッドではない。敷き布団の上だった。天井は板張り、欄間には鴨の絵柄の彫り物がしてある。古い日本家屋の一室のようだ。ボクは半覚醒の状態で、そんなことをぼんやりと考えていると、母が目を覚ました。
 「おや、起きはったん。気分はどうや?」母の声が遠く聞こえる。
 突然ボクは激しい虚無感に襲われ、一瞬にして全てに虚脱した。レドモンドの悪夢から醒め、目から鱗が落ち、憑き物が取れ、構築が脱げた。母の吐息に混じるインシュリスティックな鴨の八橋の香油の臭いが、一服もられた毒汁98をデコンストラクシオンした瞬間であった。宴の一夜が明けた妙に生ぬるい払暁、何処からともなく響くクシェシェシェックの『差異の戯れ』だけがボクにはリアルだった。

☆第三章「妻の帰還」 第九節「夢の途中」

 明るい日差しの中、ビルは母と遅い朝食をとろうとしていた。ひさびさに二人でとる朝食であった。食卓には、朝食には似つかわしくないほど豪華な皿が用意されている。ビルは、その皿の模様を眺めながら、これまであった夢のような出来事を回想していた。「これまでのことは夢だったんだ」、そうビルは呟いた。
 母が、朝食を持ってきた。何か山盛りになっている。その香りと皿の模様が一つになり、ビルの心をかき乱した。
 こ、この香りは、、、、、む、むかし、食べた、あのあのあの、こうなんていうか、食べたとたんに甘みと旨みがぐちゃぐちゃになってえ、思わず皿まで食べたくなるような、あれ皿までたべちゃったのかな、ついでにテーブルまでなめまくったっけなあ。なんだっけこれ?ここまで名前がでかかってるのに、とにかく食べればわかる筈。ボクにはきっとわかるんだ、、、、、そう、そしていつか、違いのわかる男って呼ばれたいナ。苦味ばしった顔してサ、海なんか見ちゃってため息つくんだ。アロハの襟を震わす潮風のしょっぱさの中にふと、あの甘くて旨くてシビれる思い出のあのあの味を思い出すボク。白くて黒い、甘くて苦い、ほんとで嘘の、、、、、ううん、嘘なんかついてないよ。ボクちゃんと踊りのおさらいしてたよ、苺なんて食べてないよ、ほんとだよ。だけど、ほんとはね、誰にも言っちゃやだよ。ほんとはね、ママにナイショで白いマシュマロと黒いマシュマロを食べちゃったんだ。でも、そのときからボク、自分のなかに自分がふたりいるような不思議な気持ちになることがときどきあるんだ。気が付くと、目の前に白いボクが立ってたり、黒いボクが立ってたり。ボクはね、ママにないしょでまああぁぁぁっビルちゃんビルちゃんったら、ママにないしょでそんなこと、そんなことしてたのねぇぇぇぇビルちゃんたらビルちゃん、ママきいちゃったわよ、ママにないしょでビルちゃんたら、ノーノーそんないけないことしてたのねオマイガー。ンママはもうっ。ンそんな悪い子はっ。捨てちゃいますわよワーオ。いやだよママ。だーめビルちゃん。というようないきさつがあって、ついに母親に捨てられたんだけれどね、その前後はよく覚えていない。記憶が曖昧なんだ。記憶が、というか、自我が、かね。時間の連続性、因果律、自己の同一性、どれもほとんど存在しないように思う。いまだって僕は、この打ち明け話を誰に語っているのか、自分で知らないんだ。ああ、そうか、これはメールかもしれないな。宛先を決めるまえに書けるメールなんて、どうせろくなメールじゃないけどな。まあ宛先は妻の実家のスーツケース一杯に詰め込んだ、愛という名の重い荷物を軽々と持上げ、妻の顔面に投げ付けた母ということにでもしておこうか。嫁姑の諍いの耐えられない軽さね、これはね。…ま、こんな市民生活的経験の一つもしてみたかったということ。つまりね、僕はインテリだからね、そういうこと、つまり日常のゴタゴタみたいなのにあこがれるところがあるのさ。人間、現象世界に何等かの足場は確保しておきたいものだけど、所詮は垂乳根の胎内よりのエグソダス、すべては輪廻転生の理か。母三十三歳にして95階建ての高層ビルを夢見るも、胎児の力に恐れをなし臨兵闘者皆陣列前行と、九字の呪法にてその力を封印し、時は流れる砂時計。親の心子知らず、奥歯が痛い親不知。
 …思考を妨げるように新着メールのお知らせの音。「九龍城・バージョンアップのお知らせ」。添付ファイルあり。ナニナニ、今ならお徳な割引き料金で、「展望二階建てトラム貸切・香港芸者玉揚げオプション」がバンドルされてくるのかぁ。こいつはちょっとひかれるな。添付ファイルは何だい?どれどれ。「特選上湯フォントセット」のサンプルか。なかなか良い火腿を使ってるじゃないか。ふーん。
 …や。ややや。く、臭い。なんだ、臭いぞ。何かが焦げているような。え?だ、台所かな?臭い。台所というとたしか79階の筈。慌てて階段に駆け寄るボクの前に伸びる長い影が行く手を遮る。影と戦い、ようやくボクは79階へと駆け上がった。79階でボクが見たものは、鍋の中で炒められている鴨嘴だった。しかし料理人はいない。壁には専門料理が91年4月号からずらりそろっている。しかたなく、普段することの無い料理を、本を見ながら始めた。
 炒め続けていると心の中に、誰かに食べさせるために作ってあげるんだ、いや何かとんでもないことをしているんだ、というぼんやりした気持ちが湧いてきた。

☆第三章「妻の帰還」 第十節「闘い」

 「おっと、ちょっと火が強過ぎるな」とコックに手を伸ばした時、視界の片隅を黒い影が横切った。目だけを慎重に動かし黒い影を追った。「まだ生きていたのか…」シュッ!右側頭部に衝撃が突き抜ける。反射的に躰を屈めたが衝撃で肩から壁に倒れ込んだ。体勢を立て直そうとした時、頭頂部をかかとが襲う。テコンドーの使い手か?頭を庇った腕がまだ痺れている。この狭い台所では不利だ。熱く焼けた鍋を手に、ボクは台所と階段との間にある化学実験室に駆け込んだ。
 振り返ると黒い影の気配は、もうない。しかし、油断はできないぞ。いったん鍋をステンレスの実験台に載せて、ボクは武器を捜す。試験管、アルコールランプ、ビーカー、シャーレ、顕微鏡、メス。これだ。ボクはメスを掴み、自分の指で切れ味を試そうとする。まて、バイキンが入るぞ。マッチでアルコールランプに点火しようとした時、背後から黒い影がボランジェ・グランダネの瓶で殴りかかってきた。
 ヌガッ。紙一重身をかわし、床についた左手が触れた石綿付金網を握り、影に向かって投げる。(背後で泡だつボランジェ。くそ、台所から盗んできやがったか高かったんだぞ)スキシャッ。見事に刺さってビギビギと揺れる石綿付金網。仕留めたか、と目を凝らすと、心臓に金網が突き立った、半身内臓を露出させた人体模型が笑っている。
 シマッタ。そうだ鍋は、と実験台を見るとそこにはミシンとこうもり傘が。ふん、陳腐な伏線だ。誰かこの台の上で解剖をした者があるとでも俺に言わせたいんだろうが、生憎俺って奴は他人の思惑どおりに動くのが大嫌いなたちでね。ついでに言うならシュールかぶれも大嫌いなんだよ。
 人体模型は俺の言葉を聞くや恐ろしいうめき声を上げ、露出した内臓を振り回して威嚇した。そうか、こいつがシュールかぶれの張本人ってわけか。
 俺はこうもり傘を手にとると、傘回しを始めた。まずは、鞠からだ。今日も快調に回っている。次は皿だ。豪華な皿なので緊張するが問題ない。次は何にするか、と思案していると人体模型が露出した内臓を投げてきた。「そんなのやったことないぞ〜」と思ったが、ここで引いては負けてしまう。しかたなく内臓を回し始める。なかなか具合がいい。しかし、ここまで人体模型は顔色一つ変えない。
 次に、俺はミシンに手を伸ばし、プスプスプスと小気味よい音をたて、鮮やかな手さばきで掌に「ひかる命」と刺繍をしてみせた。鮮血が手から飛び散る。これを見て人体模型は一瞬ひるみ、「親からもらった身体をそんなに粗末にするやつがあるか」と円広志の物真似をする。
 次に三回って「ワン」と吠えたかと思うと、何を思ったか豚肉を透明な腿の上に巻き付け、十分な太さを表現したつもりなのであろうか、三回転半伊藤みどり風に挑戦を試みようと今度はメスを両足につき刺してスケート靴とする。
 これを見たボクは「親からもらった身体をそんなに粗末にするやつがあるか」と円広志の物真似をやりかえす。人体模型は挫けず、芸術点は低いが技術点は高いジャ〜ンプ、そのまま傘の上でスピンを始める。「いつもより余計に回しております。」、腿より飛び散る豚肉はまさしく「飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで、回って回って回って回るううううう〜」の如し。人体模型の頭上にはフランスパン。そこに群がっていた蟻たちも、遠心力で飛散する。飛び散った豚肉に群がる蟻たち。
 ボクは、蟻付きの豚肉を鴨嘴の鍋の中に放りこむと、三日三晩グツグツと煮込んだ。
 空には月。目には剃刀。東の空が白む頃、十億年の遺伝子に埋め込まれた怨念が新たなカモノハシ戦士を創造した。次々と鍋から生まれる888匹の戦士たち。赤外の目、毒の爪を持つ生きた兵器たちは、黒い影の言うまま10Km四方のあらゆる生物を殺戮し、山手線で秋葉原まで出かけると、ラジカセ、ビデオデッキ、炊飯器を山のように買い込み、成田から一路、香港啓徳空港へと向かった。家電製品の重さによろめきながらも当機はまもなく無事着陸いたしました。
 じっとりとした湿気が体を包む。蒸し暑さに頭から湯気を出しながらも、カモノハシ戦士たちはビルを覆う竹竿の足場に興味を示したようだ。888匹が一斉に足場にとりつき、登りつめ、やがて進退窮まって真っ赤な涙をハラハラと落とした。その雫は風に運ばれ、昼ごと夜ごと九龍城の窓をはたはたと叩き続けた…イチゾクノウラミヲシレ…イチゾクノウラミヲシレ…。
 自らの命が尽きることを知りながらも戦士達は血の涙を絞り出し、泣き続けた。そして九龍城のすべてが真っ赤に染まる頃、力尽きたカモノハシ戦士が一匹、また一匹と地上へと落ちていった。最後の戦士が落ちる時その躰は炎と化し、死骸の山に燃え広がった。怨念の炎は夜空を血の色に染め九龍城を飲み込む。
 戦士達の魂が一筋の煙となって空に昇っていった。

☆第三章「妻の帰還」 最終節

(前半)
〜メンバー10人の一行リレー〜
 家に帰ると妻がいなかった。テーブルの上には豪華な皿、その上にはムロアジのポワレが、うまそうな匂いを立てている。そういえば今日は結婚記念日だっけ。妻の好きなアルザスの白でも飲むか…冷蔵庫の扉を開けると、中には黒衣の老婆がうずくまって一週間前に放り込んでおいたゆで卵を盗み食いし、まっ黄色の歯を見せて硫化水素の香りをただよわせながら、こちらのほうへ歩いてきた。
 「やはり、年代物はいいもんだ。あれは、紀元前二千年のライン河上流だったか、千年に一度という葡萄を口にしたことがある。あのえも言われぬ芳醇さは、千年辛抱してもういちど味わいたいくらいだ。ビロードの様な舌触り、脳天を突き抜ける力強さが味蕾を刺した。「いてててててて」舌をおさえてのたうち回る夫。女房は救急箱をどこに隠棲する黒衣の老婆はマシュマロをどこにムロアジは貴腐葡萄をどこに、そして家に帰る

(後半)〜結末や如何に?〜
 kneo(その一)の最終節後半を読む。
 kneo(その二)の最終節後半を読む。
 坂本浩二さんの最終節後半を読む。


☆登場人物
妻:卓上には豪華な皿(料理なし)。押入で98RAと合体し、夫は中で起動
妻の夫:実はprogram。起動、dataの牛乳海を泳ぐ苺、鴨嘴に捕われ蒸苺ミルクに。
台所:焦げ臭いが、原因が見当たらない。79階にあるらしい。
カモノハシ:苺化した夫をミキサー、血のマシュマロでウィルス、蒸苺ミルクを卓へ。
メートル:Javaアプレットの中でカモノハシの生き血を搾る。手が滑り生き血が逆流。
「私」:MS神官社員。割鏡拾。肉体足先から崩れ生贄儀式復活か、血を見る。
ビル:マイクロソフト神官社員の心の太陽。
白いビル:白マシュマロから変化。苺対決審査員。
黒いビル:黒マシュマロから変化。苺対決審査員。
ビルちゃん:母背突。火泣。自閉。自身の体内で消化される。母に捨てられる。
母:ビルちゃん母。京女。鴨嘴。死後ピラミッドで復活。ビルを捨てる。
背後の声:数字8について意味不明の発言。鉢巻きしてヌンチャク持った亀らしい。
割れた鏡:背後の声が落した?縁に楔紋様、米粒。撫でた私の頭とネゴトを。
老人:白黒マシュマロ白部屋で盤上並べ。実はブートストラップローダー?
「俺」:妻と合体したRAのprogram.起動。化学実験室で人体模型と闘う。
花柳チョロギ先生:歌舞練場でPROLOGの振付予定の師匠。アナコンダで溶ける
エラ:「俺」の体の中で発生した美脚ヤンキー女。アナコンダで溶ける
ルーチン:千の仮面持つ男。エラ処理めざし追い回し、アナコンダで溶ける
西:火の車に乗って中継をする男。ビルちゃんを妬む。アナコンダに飲み込まれる
セキモト:高栄養糖尿飲料開発。アナちゃんの尿友。フラットに形而上学的。
アナコンダ:セキモトの脱構築尿友。腹の中から誰かが『賽の戯れ』歌い、爺と戯れ。
クシェシェシェック:仏ピアニスト。ラヴェルの『差異の戯れ』しか弾けない。
米長:アナコンダの腹の中の賽の河原で将棋の駒を積む。
「僕」:母に捨てられたビルちゃんの記憶を語っている(メールで?)
「ボク」:鴨嘴炒め中、黒い影に襲われ、化学実験室へ移動。傘回しを始める。
黒い影:ボクを襲う.実は人体模型.シュールかぶれ.刺されて内臓露出しても笑う。
カモノハシ戦士 : 黒い影が鍋から作った888匹の生物兵器。竹の足場によじ登る。


→ 第三章:筆者名入りバージョンを読む

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