1999年 4月
*ジット・ド・ブフのカルパッチョ風
*鮭と白身魚のマリネ、サラダ仕立て(ハコベ似の野草添え)
*Le gargouillou de jeunes legumes, dit "classique", releve d'herbes champetres et de graines germees.
季節野菜のガルグイユ(レンティル他のモヤシ、赤黒い草、緑アスパラ、細ポワロ、蕪、生ハム、カリフラワー、ズッキーニ、親指姫の草、赤ピーマン、新玉葱、)
*Sur une tarte aux cebes, le filet de turbot etuve; huile d'olive en creme, plants d'oignons et olives noires.
トゥルボのエチュヴェ、玉葱のタルトとポワロー、薬味葱、黒オリーブのモロモロ
*Le foie gras de canard poele; pois & gousses sans-dessus/sans-dessus, touches de balsamite et de tanaisie.
キャナルのフォワグラのポアレ、緑のソース、さや豆の細切りと香草
*緑アスパラにノワゼットのはかま、トリュフソース
*仔羊のカタクリ(の仲間)添え、フロマージュフレ玉葱、茶玉葱
*L'aligot.
アリゴ
*Le biscuit tiede noisette-caramel "coulant", an 99, un sobet a la reglisse noire.
ビスキュイ・ティエッド"courant"'99、黒糖ソルベ
*Une banane dite frecinette rotie; bouillon de raisins et d'agrumes.
温バナナとレーズンなどのぐじゅぐじゅ
*Le Sorbet a l'angelique; tranche d'orange et sirop de citron.
アンジェリークのソルベ、酸っぱいソース、赤オレンジ
*凍りんご、ナッツ入クリーム、あんず、ショコラ
*ショコラのクリームとリキュール入ミルキークリーム
+花の香りのアペリティフ、シェリーのようなvin de voile
+87 Chateau Montus Cuvee des Cimes / A.Brumont
+アンフュージョン(ベルベンヌ、ミント)
[AQ!]
クレモンフェランHertzのオネーサンと「日本の公安の、免許証の残存期間表記」についての見解が微妙に違う。オネガイシマスヨ。上司オジサンも入って、「私は免許取得15年以上である」の宣言をすることで、ルノー・クリオの、まだようやく1万kmという新車を借り受け、ドライブは始まった。車庫では、前面が他車で埋っていてのいきなりバックだが、クリオの「バックギアはシフトレバー中間のポッチを引き上げながら入れる」の入れ具合がわかりにくくて数分間の試行。誰も見てなくてよかった。まずはクレモンフェランからA75への脱出であるが、この経路はへべが「i」の気の良いオッサンと打ち合わせ済みであり、スイスイ。A75は快適で巡航120-140km/hで天気の良い野山を駆け抜ける。サンフルールからロデ方面へのD9への進路取りもへべナビでスンナリ、もろに田舎な道を突き進む。丘-牛-丘-羊-丘-畑-丘…、の連続はまことに気持ち良い。70-80km/hキープは容易で「まったくアンリ・ゴー(「悪路だ悪路だ」と著書で脅している、昔のことだが)の奴は何と贅沢を言うておるか」と呆れる。牧草地と山道を繰り返すと、82度の熱湯が湧くというショードエイグを通り越し、山道含有率が幾分増してくる。14:20頃にクレモンフェランを発った我々がライオールに着いたのは16:30。
「ついにライオールに来たぞ!」
ライオールはソムリエナイフでも有名な刃物の町だが、ほんとに小さい田舎町。中心部には「牛の銅像」が屹立している。お牛様(^_^;)。実際、人口よりはだいぶ牛口が多い土地柄らしい。ブラスへは、ライオールの町を通り過ぎてさらに10分ほど進む。幾つか目の高い丘の頂上に近い辺りにキラっと光るもの。「あ、あれ、ナニナニナニ?!」。目を凝らすと、丘陵にへばりつくように延びるスレートの平たい建物、その先端部分は広いガラス面で出来た展望ロビーのような…それがミシェル・ブラスであった。ちょっと感動的。地面から生えてきたようであり、地表に降り立った宇宙船のようでもある。 (つづく)
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…(つづく)…と記したまま、3年が過ぎた(^^;)。いや。いやいや。いやいやいや。忘れた訳で無いのよ。とか悶々とするうちに、ついに追っ手が… …じゃなくて、問い合わせメールまでいただいてしまいました。
「ところで「ミシェル・ブラス」の書き込みがずっと…(つづく)…のままですが、是非続きを読みたいので、よろしくお願いします。」
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取りあえずの言い訳(^^;)が、以下。
は、は、ははははは~。平伏。(^^;) がんばりまっす。ってゆーか、続きを書かなきゃ、は自分的にも課題になっとるんです。
…ここまでの言い訳…じゃないけど、、、
・一番好きなとこは、書きにくいんです ヽ(^~^;)ノ
好き好き大好き~!、に尽きちゃうんですよね。
いや、もう満足しちゃってるし、そうすると書くモチベーションの維持が…。
「美山荘」の項も尻切蜻蛉で、「もっと書け~」というメールが…。
・多分ご覧になったかと思うのですか、ブラスんとこは
http://michel-Bras.fr/
サイトがすげぇ良く出来てるんですよね。何か、何を書くより、ここを見れば、全貌がわかる、紹介になってる、で、この雄弁さにちょっと負けてしまう。
なんてことがありまして。タハハ(^^;)。
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まぁ何とか隙を見てまとめてみようとは思ってます。ただ、訪問の参考という意味では、上記の通り、ほんとにブラスのサイトはブラスの店を完璧に表現しているように感じます。是非、ご覧下さいませ。
…何てことを言ってるうちに、先に再訪を果たしてしまいました(^^;)。とりあえず、2002年版食った物を下↓にアップ(^^;)。
それから、上記のメールをいただいた「 Toshi 」さんからは、フランス情報を中心に色々と教わったり交歓しています。転載可の部分を「メールのページ「 Toshi 」さんコーナー」にまとめましたので、ご覧ください。 (2002.12)
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[1999 Michel Bras 一口メモ]
●ミシェル・ブラスその人は、写真で見ていた通り、ヲタク系学者系の容貌でまったくの無愛想、焦点が遠くにある視線。身体はけっして大きくないが、何よりも印象に残るのは、その(握手した)手の平の厚み。分厚い手だった。
●客室の軒先はそのまま山腹(丘腹、と言った方がいいか)であって、数歩踏みだすと自然の中にいる。そこから振り向いて宿泊棟のクールな外観を見ると、またカッコイイもんだからシャッターを押すのだが、その肉眼の印象の、フィルムに写らないこと…(^^;)。写真だと"ホニャララ保険軽井沢保養所"…みたいになってしまう。これに限らず、Brasは写真に納めることの難しい店だった。それが何故かと考えると、その核心が「質感」から成っていることによるのだろうな。その「質感」をフィルムに捕まえるのはなかなか難しい。
●ライオールは刃物の街、Brasのクトーも切れ味鋭い。Brasではこの地方の習慣にならい、クトーは使い回しである。数皿を通して一本のナイフを使い回すことは、ビストロランクではよくあるが、高級レストランでは大変に珍しい。Brasの、随所に見られる「高級フランス料理とは少しズレ」ている点の一つ。この店の料理は「土地の料理」と「私の料理」の掛け算であって、「フランス料理」への拘りは薄弱だ。1990年頃には既にゴーミヨや多くの評論家から「フランス最高の一軒」と評価されながら、ミシュランの3つ星獲得が1999年と遅かったのは、この辺りにも一因があろう。さらには現在も、この店は、3つ目の星にまるで頓着してないように見える。正直、「Brasのためにもミシュランのためにも」この店はずっと2つ星のままで良かったのではなかったか、と思ったりもする。
●すなわち、非常に単純な言い方においても、Michel Brasはとても「個性的な店」であり、「好き嫌いの出る店」である。
●そういえば、客室内装を写真に撮ると何だか殺風景に写るのが悔しい。壁を飾る絵画や装飾品がある訳でなく、カラフルな色彩も無いから、素人写真には厳しいのである。実際には、ウットリするほど素敵な部屋なのだが。その魅力は…やはり、「質感」にある、と言えばいいだろうか。
●メートルだけでなく、「ソムリエも皿を下げる」タイプのサービス布陣。甲斐甲斐しい。テーブル担当や役割担当に関する考え方が他所と違うようだ。テーブル毎への担当貼り付けの意識が薄く、何処の卓にも目を利かしてサービスする。一番単純な「お運び&捧げ持ち」に関してはフレッシュマンの仕事と決まっているようで、彼らがトレイの"捧げ持ち体制"に入ると、手の空いているメートル&ソムリエ陣が寄ってきて、そこから(あまりテーブル担当に頓着なく)口上とともに卓上にサービスする(たまにメートル達の手が揃って塞がっていると、困った顔の捧げ持ちクンの顔を見ることが出来る)。このシステムは、まったく見かけないサービス陣形ではないが、「フランスの3つ星」としては異色。シンネリとした親密感は湧きにくいが、キビキビと楽しくよく働くイメージ。ワシらは慇懃より此処の実用的純朴が好きみたいだね。仕事に対する態度が上から下まで皆が魂の入った眼差しなのを見ると、ブラス家がどのようなテツガクを薫陶しておるか、朝礼(笑)を覗いてみたくなる。この辺りはミシェルの担当なのか、ジネットの担当なのか? (ちなみに、洞爺でも「薫陶」を垂れているようである)
●簡素で純粋で追い詰めた料理だと思う。「簡素で純粋で追い詰めた料理」という言葉で思い出すのは、ベルナール・パコー/ミシェル・ブラス/ベルナール・ロワゾーの3人、これが極北だな。しかし、まぁ、三者三様に「簡素で純粋」の表現の、まるっきり違うこと! 料理って、深い。人間も、見事に三者三様、だしなぁ。「簡素で純粋」であることの「多様性」。人間の面白さ。
●料理をほおばっていたら、ダーと涙が出てきた。あー、フランス料理っ食いをしてて良かったと思った。パコーの料理以来の出来事だった。純粋な料理は人を動かすものがある。そして、それと、(この視点について触れるのはあまり好きでないのだが)「これは "色々と食って来ていなければ" わからないよなぁ」というのはある。過去の自分史の時間を慈しむ契機となるような所がある。…と文章にしてしまうと自己陶酔っぽくて困ったもんだが。
●カトランだオマージュだアンリジャイエだ…と平気な顔して並ぶワインリストは壮観。口あんぐり。カーヴまで凄いとは。安いし。ワインはジネットさんの担当だと聞く。夫妻は二人ともこの地方の出で、幼馴染に近いような夫婦、だったと思う。揃いも揃ってこんな才能豊かな…と驚く、というか不思議な感じ。
2002付記:再訪してみると、レアで高価な所がダーっと飲まれてしまったような印象も。未だ壮観だが、フツーに壮観って感じに。これはアレだな、3つ星(目当て)客が押し寄せてきてパカパカ高いの空けたからなんだろうな。3つ星になるって、こういうことなのか。俺ら的には「いい店見つけた!のその後」は星なんて上がらないでいてほしい…と思う。…と客は勝手なことを言う(^^;) それから、最近ではワインは買い付けを含めてソムリエ(名前失念)が仕切っているようで、ジネットさんは"総合監修"役、と言った所か)
(2003付記:洞爺に本店から送られたカトランを発見。狂喜乱舞して頂く。やっぱり此処のカーヴは余裕がある(^^;))
●驚くような辺鄙な田舎に星付きレストラン…が点在するのがフランスであるが、実際に行ってみて、回りに人家がなく自然・牧草地に囲まれているだけの2.3つ星レストランは、そう多くない。ブラスはそんな一軒(普通は超マイナーな小村でもその集落の真ん中にあることが多い)。しかも小山の高い位置だから眺望良く、単純な「観光」の目として見ても素晴らしい。
ではあるが、オーベルニュ地方ライオール近辺は、フランスきっての寂しい田舎であるようで、ゴーミヨやミシュランの全土地図を、例えばドライブ巡りを念頭に眺めて行くと、このライオール辺りほど、ガラ~ンと魚影(星影?)が薄い土地は無い。「星巡りの旅」には厳しい土地である。
●部屋に運んでもらう通常の朝食も極上であるが、もう一つ、レストランの方で食べる10時くらいの遅い朝食というのがある("Le Dejeuner de 10 heures")。この地方の伝統的な朝昼食とでも言うべきものだそうで(お百姓さんはこれを食べてから夕暮れまでノンストップで働いたそうな)、内容はというと、内臓(牛胃各部かな)を縫ったボールをスッキリ味で煮込んだオデンのような物。このトリプtripousが絶品中の絶品。これを食べに再訪したくなるような代物。少なくとも連泊の人には、是非ともお勧めしたい。
1999年 4月 昼食
*ジット・ド・ブフのカルパッチョ風
*豚のジャレとフォワグラのテリーヌ、葉っぱ添え
*鮭と巻貝のサラダ
*牛肉とチンゲン菜、アリゴ
+89 Domaine de Chevalier 1/2
[AQ!]
それにしてもビッツラこいたのはビフテキだよなぁ。ほんとに、俺らぁ、牛肉ってもんを知らなかったんだ、とつくづく思った。牛肉ってこんなに旨いんだ。
[へべ]
アリゴもなー。
1999年 4月
*ジット・ド・ブフのカルパッチョ風
*セップの薄焼パイ
*鮭と白身魚のマリネ、サラダ仕立て(ハコベ似の野草添え)
*La soupe blanche aux Beauvais et au lait d'amandes; creme aux truffes et huile d'olive.
スープ・ブランシュ
*ラパンのサラダ
*Le pigeon roti entier, qui s'epice de genievre, de poivre, d'orange et de sucre...
鳩のロティ
*Le millefeuille a la nougatine au beurre, creme "fromagere" et coulis au beurre "noisette".
ヌガティーヌのミルフィーユ
*nefles du Japon(びわ)のコンポートのファルシ、アーモンドミルク添え
+91 Cote Rotie La Landonne / Guigal
2002年10月
*Coque-Mouilletes
*Tarte aux cepes
*マンジュトゥ、ポトフなど3つのスプーン
*Le gargouillou de jeunes legumes, dit "classique", releve de graines germees & d'herbes champetres.
*Courge dite butternut au lait de noix & au jus de truffe.
*La cote de Boeuf Aubrac - pure race - rotie a la braise ; beurre leger a la racine de persil,vert & cotes de blette.
*Le biscuit tiede de chocolat "coulant" aux aromes de cardamome ; creme glacee au lait entier d'ici.
*Le millefeuille a la nougatine beurree aux bananes ; creme acide aux amandes caramerisees au sucre de canne.
*Mignardises:Menth chocolat,chocolat blanc,rhubarbe,courge,gingembre
*Liqueur de lait & chocolat
+97 Cotes du Roussillon-Villages la Muntada / Domaine Gauby
[へべ]
●Auberge et Clos des CimesからPuyへ抜ける。こちらの道の方が、アノネ側より良さそうだ(切り立っている感があまりない)。故アンリ・ゴー氏にはこちらのルートをお勧めしたい。
●Puyの町なかにはすんごい岩山と教会。仰ぎ見ると相当迫力がある。登ってみたかったが残念乍ら丁度昼休みだった。
●St-Flour経由でLaguioleへ。よっしゃよっしゃこの道はいつか来た道、と牛の広場を越えてロータリーから適当な道に入ると…あれれ、間違えました。ぐるーっと田舎道ドライブを楽しんで(結構な道のり)到着。こんなに早く二度目の訪問が実現するとは嬉しい驚き。
●Brasの建物には本当に、ほれぼれする。灰色の石と、ガラスと、木と。今回の部屋は、丘を下る廊下を端まで進んだ"最前列"棟の一番奥。部屋に通され、カーテンをさぁっと開くと、この高い丘からライオールの風景が視界いっぱいに飛び込んでくる。事前にこの風景の中をあんなに走ってきていても、この瞬間には感動せずにはいられない。ガラス戸を開けて、そのままずんずん歩いて行きたくなる。やっぱり、ここは、凄いところだ。
●部屋の調度も見事。今回の新入荷アイテムはオーディオセット。前面の扉を手前に開き、リモコンでスイッチを入れるとポッと白く灯りがともる。かっこいい。夕食を終えて部屋に戻るとこれがついてて、ラジオの音楽が流れてる、という仕掛け。ディスクも借りられるとのこと。
●実用面ですばらしいのが両側に扉のついたウォークイン・クロゼット。スーツケース置き場、棚、引き出し、くつ置き場、ハンガー、全身鏡…parfait! 使う荷物は全部取り出せるくらい機能的。そして部屋は(散らからずに)きれいなまま…
●大好きなのが、ガラストップのテーブル(うまく描けない)と、灰白のごましお模様の石でできた洗面台! 石の質感がなんともいえない上に、ぬれたところが気になりにくい実用性も! 石鹸類がまた、いい香りです。
●エルダーフラワー風味のスプリングウォーター発泡ドリンク、健在でした。嬉しい!
●春よりは日の暮れるのが早いのか、のびのびと気持ちよく入浴しつつ黄昏の空を愛でていると、傾きはじめた陽がストンと沈んでしまう。フランスでも秋の日はつるべ落としなのかしらん。という訳で夕食に赴くころにはとっぷりと夜の気配。そのまままっすぐサルに通してもらう。通路からサルへ、いくつもかかる橋(下を水が流れていて、ライトアップされている。美しい!)のたもとに、今回はちょっと華やかな色どりの花々・可憐な草や苔などが飾られていて目に楽しい。おなじみ、窓側のテーブルへ。
[AQ!]
オーディオセット(It's a Sony!)の趣味とか、花々とか、少し明るく華やかなテイストが増えてたね~。この辺りは、既に厨房の実働の主力となっているというブラス家跡取りのセバスチャン・ブラスと、サービスの主戦を張るその妻ヴェロニク(2003、洞爺で再会!)の"表現"が、店全体に現れてきているのかもしれないと思う。
[へべ]
●旗のような間仕切りの薄布。下に詰めものをして、シャワーキャップのようなクロスをかぶせた独特のテーブル。職種も位もあまり関係なく、きびきびと皆よく働くセルヴールたち(チーフとおぼしきソムリエでも、通りかかればお皿だって下げる! 唯一"お盆で運んで捧げ持つのみ"カーストはあるようだが)。ここはどこにも似ていない。
●ここはカルトを開くと、フランスの一流店では比較的珍しいが、「当店のアペリティフ」コーナーがある。
1.根っこのほにゃらら
2.花のほにゃらら
3.ゲンチアナ(だったかな)とオレンジジュースのほにゃらら
というのがあって、あとはシャンパーニュなど。1.と2.を頼み、飲んで思い出す…ああ前回も同じことをしたような! 花の2.の方はフローラルな甘めの口当たり。一方、根っ子の1.は金茶色の根っ子リキュール風味。どちらも美味しいのだがやはり1.は度数的にもそこそこあるとみえるので、ほどほどにしておく。しといた方がよい。
●さて、アペリティフをなめなめ、注文に向けて作戦会議。「例の"発見"コースは前回と内容的に大差ないね」とAQ。そこでアラカルトにするか、今回目にとまった野菜のコースにするか… そんな我々の脳裏を走馬灯… いや走牛灯のようにぐるぐるよぎるのが、ドライブの道すがら多数、まさに"人よりたくさん"見てきたオーブラックの牛たちの姿。そんな訳で「よっしゃ、本日はひとつ、コートドブフに挑戦してみまひょ」ということに相成り申した。
ガルグイユーはめいめい食べたいから、それプラス軽そうな野菜(courge)と魚(maquereaux)でも…? と、注文しかけたところ、大向こうから「待った」の声が。オーブラック牛、それも純潔種(かな? 誇らしげに"pure race"の文字が躍っている)をナメてはいけない。悪い事は言わないから2皿構成にしてはいかがか、と諌められる。なるほどそれもその通り。
●その間にも色々なものが登場する。まずパリパリの薄焼きパン。インドスパイス風味で切り込みの入った石に刺さって出てくる。
●卵の登場! 前回来た時は世界各地の砂糖の研究中のようだったBras。今回はどうやら卵のようだ。
エッグスタンドに茶色い殻の、小ぶりの、とろとろ卵が鎮座し、中央に緑のソースがかかっている(何のハーブだったか失念)。粗めのナチュラルなパンを拍子木に切って小さなチーズトーストにしたのを添えてあるのだが、この卵の美味なこと! フレッシュで力強くて、生命力とかエネルギーとかそんなコトバを連想する。ブラスらしい、驚きのある一品。
●秋といえばセップ! クラッカーくらいの大きさの極薄のパイに、セップの薄切りをきれいに並べて焼き立てが運ばれてくる。圧倒的な香り! われに返るともうなくなっている。
●スプーンひとくちサイズの小さなアミューズx3種類。プレゼンテーションはちょっとエルブジ風? …でもBrasは元々こういうの好きそうだし…。マンジュトウにトマトのフレッシュなソースとか、野菜ものも入ってるのがここらしい。
●秋のガルグイユーは一味違う。一番底にはキノコを忍ばせ、種々の根菜がしみじみとやさしくて、実りの秋の豊かなイメージ。その周囲をおなじみのハコベ風の緑や各種ハーブと花と豆もやし(少なめだけど旨い!)が彩る。一種で食べて、色々とりあわせて食べて…いつまででも食べていたいブラスの"古典"。空になった皿を前に、別の時季、例えば真夏にはどうなるのだろうなどと次回のことを思ってしまう希有な料理でもある。
●アントレその2のcourgeも見事な料理。2日目の野菜のコースにも組み込まれていた。カルトの深皿もいいけれど、ムニュの小さいコロンとした深い器の方が、より感じが出ていたような。カボチャ~ウリ系野菜とおぼしき我らがcourgeのピュレにトリュフが入り、バター風味の泡がふんわりのっかっているというもの。
●本日のメーンエベントはオーブラック牛さま。そこのけそこのけ…という訳で来ました。なんとマッシフサントラルなその雄姿! けちなビフテキの厚みを2階建てにしたくらいの肉塊が大皿に3つ載ってます! この肉が旨い。脂がまた実に旨い。脂のところをちょっと一緒に食べるとそれはもう幸せな。ジューシーな極上の肉でありながら、肉の部分は"筋肉"であること。その筋肉のピュアな滋味が… とはいえ、運動不足のまま車をすっとばしてきた小物のジャポネにはこの量はさすがに食べきれはしないのでした。うしろ髪ひかれつつも。でも旨かったなぁ。
●デセールはショコラのクーラン(でーーっと流れるアレ)とヌガティーヌのミルフィーユ。Brasのデセールはやはり、抜群というコトバはこのためにあったか、と思うくらい美味。次元ちょっとちがいます。
2002年10月 ピクニック
[AQ!]
ブラスの客室に通された宿泊客がまず気がつく物に、「リュックサック」がある。純白のベッドセッティングの上に、ポ~ンと置かれた厚手の布地のそれは、近くば寄ってみればリュックサックで、腕を通してみればあっという間に背中に収まっている。何とも「らしい」お出迎えである。これはブラスからのプレゼント。オーベルニュの大自然を訪れてくれた友よ、ちょっと歩いてその自然に触れてみてけれよ、という訳だ。
ちなみにこのリュック、1999年には黒色だったのが、2002年には灰紫色に変更され、より厚手だが実用感ある布地に進化した。どちらも、ブラスを象徴するシストルがデザインされている。
更に言ってしまうと、このリュック、洞爺のブラスのブティックで販売されている。レア物コレクター欲から言うとツマンナイのであるが、買えると判ればボロボロになるまで使ってしまってもヨイので、東京でもしょっちゅう背負って歩いている。取り回しの良いサイズ・デザインなのら、コレ。
というわけで、今年の2泊の中日は、ピクニックにGO!、なのである。前回は中日の昼食をレストランで取ったので、近郊ドライブ&散歩関係は手短かに済ましたのだが、今年は中日の昼がレストラン休業日ゆえ、たっぷり昼間を存分に使ってピクニックらららん攻撃に出る。
今回は遠足したいと思っていたのだ。…というのは、以前に見たブラスのパンフの"御提案コーナー"に
「ピクニックなんかどうざんしょ? リュックにパンとシャルキュトリと野菜とフロマージュとワインと詰め込んで素敵なセットを作ったげますでよ。何処を回ったら気分が良いか、コースを知りたかったら、その辺にいるダレかソレかアレにでも聞いてね。みんなこの辺は詳しいぞよ」
などとありまして、そりゃ~、その魔法のリュックを担いでフラフラとオーベルニュの自然と語りあっちゃったりしたいものやん。(ちなみに、レストラン休業日でもリュック一杯の幸せは用意してもらえるのだ)
それではスタート! …と言っても、何しろ広大とは広く大きいこととみつけたるオーベルニュのこと、最初から歩いていると地図上の数センチも動けない。まずは車を走らせる。その後、風景をみつけては、車→歩き→車→歩き→…を繰り返す戦略である。まずは地図を見て、"Casc. du Deroc"…ん?、滝があるんか、じゃそれ行こかと、Nasbinalsを越えて20分ほどか、走る。確かに"Casc. du Deroc"の看板が現われ、駐車スペースらしき場所があり、シーズンには開くのかも知れない売店が一軒あり、付近では景勝の地として鳴らしている気配はあるのだが、見回すに一面はなだらかな丘が続くばかりで、「ほんまに滝なんぞあるんかいや、チロチロと小便小僧が夢の跡じゃねぇだろうな」などと、半信半疑の道を進む。
と、一天にわかにかき曇り…じゃなくて、大地にわかに切り裂けて、ゆるやかな丘と見えた向こうが、いきなり足下にドッカ~ンと抜け落ちたる崖が現われ、轟々と如何にも「滝」然とした水流が落下し、水しぶきがモヤモヤと上がり…。
ワシらも「いやアッパレアッパレ」と観光客に変身して拍手する。付近には4,5人の見物客がおり、この辺りでこんな大人数を集めるとは、さすがわ名所である(^^;)。
時間が早かったので一渡り眺めてサヨナラしたけど、"ここでお弁当"に時間調節しても良かったな。でもここは風が強かったけな。
…などという感じで、ドライブ&散歩をそぞろ続ける。ある時は柵を越えてしまったお牛様にビビり、ある時は強風に飛ばされ、ある時は陽だまりに抱かれ、草花と語り合おうと試みては指に棘を刺し、まとにかく、のどかなもんである。
小高い丘から草原と池を望むポイントでお弁当。シャルキュトリは濃ゆく、野菜のドレッセはしみじみと、ライオール名産フロマージュに唸る。ああ幸せ。大きな風景に、身体から魂を取り出し、風に吹き流してリフレッシュ。
ワインはここから一番近いアペラシオンであるマルシアックで作らせている、Brasのラベルの物。この誰も知らないようなマルシアックは、ウィンザー洞爺にまで持ってきてその決して安いとは言えない値付けを施してもなお3000円を切るような、超のつく安ワインなのだが、これがどうして、ウマい!
2002年10月
*Coque-Mouilletes
*Tarte aux cepes
*烏賊サラダ、かぼちゃムースなど3つのスプーン
" Le Menu Legume et Nature "
*Le gargouillou de jeunes legumes, dit "classique", releve de graines germees & d'herbes champetres.
*トマトのステーキ
*林檎とクレソン
*Courge dite butternut au lait de noix & au jus de truffe.
*セップと菠薐草
*玉葱
*Coulant
*無花果煮とそのグラス
*Mignardises:Menth chocolat,chocolat blanc,rhubarbe,courge,gingembre
*Liqueur de lait & chocolat
+90 Hermitage blanc / J.L.Chave
[AQ!]
さて、今晩は"野菜のコース"とした。通常用意されている2つのコースに加えられた3つ目の提案である。"Brasで野菜"、これは試してみたくなるムニュである。
清新で純粋、それでいて圧倒的な存在感のある野菜料理だ。角がピンピンしてる上にボディ厚い、って感じ。夾雑物一切排除、な癖して、豊かである。玉葱(ロティされて煮びたし)は皿の上の王である。
肥田順先生が書いておられたと思うが、専門家から見ると、ブラスの特徴は「バターの使い方」にあると言う。こういうちょっとした指摘には蒙を啓かれるもので、一見気付き難いが、確かに今日の野菜コースの影の立役者も、バターである。(やっぱバターって旨いんだよな。フランス料理ってバターだよな。…と、ここんとこ、Brasの話を別としても、一周してきてまたそんな思いに捕らわれることも多いなー)
M.Brasは、元祖「21世紀の扉を開ける」男、ってなポジションの料理人で、その軽さや鋭さ、野菜や香草重視と併せ、一連の南志向やら油で言うとオリーブ油やアルガン油志向のグループリーダーみたいな印象を抱きがちであるが(それは全くの見当外れという訳ではないが)、それはちょっと違うのである。使い方こそ革新的であるかも知れないが、バターの骨格が骨太く支えている。考えてみれば、此処はオーベルニュ、なのである。
このヒトはちょっとそーゆー所があるのである。Brasの皿上は、衆知の通り、繊細にして高度に研ぎ澄まされた美的な盛り付けの物で(彼やガニェールやトラマが現代的皿上の景色を牽引してきたのだろう)、実際に見ても何処から手を付けた物か迷うくらいの美しさである。これは、今で言うとフェラン・アドリアみたいに「何処から食え」とか「こうやって食え」みたいな勧めもあるのかと思いきや、此処では「テキトーに混ぜて食せよ、お楽しみあれ」という態度である。そして、前述した通り、ナイフは"使い回し"であったりする。
Brasの料理・Brasの店が、目立って世を惹きつけていった魅力は例えば「先進前衛・軽快・アート」といった点にあったのだろうが、それと同時に、Brasの本質は「野太い大地との交歓」にある(そして「田舎の家に招かれたおもてなし」である)。その両面が並立するのが"感動的"であるのだ(好きな人には)。
このBrasを巡る眺めは、最近の料理界の在り方において示唆的である。
Brasらが開いた「新世紀の扉」をくぐり抜けて、新たな才能の群れは新たな料理の地平に続々と突入していった。鮭の群れが川を上るみたいに、激しく。そして現実の時間も21世紀に入り、M.Brasはその流れの先頭を旗振りながら疾走する(Veyratは自ら宣言し旗手を勤める)…ようなポジションをとるのかというと、どうもそういうイメージではなく、むしろ、新たな地平にどっしりと在り、力強く屹立する樫の巨木のようである。
そして、今。F.Adriaという世紀を跨がる稀代のトリックスターに導かれて料理の革命が街に広く届いた今、気が付くと、実際には、街は「迷い」の中にあるように見える。パリも東京も、少なからずの料理人が迷い、スランプにあるようにさえ見える。闇雲に走り、とにかく料理に泡を吹かせてみたはいいが、気がついてみたら泡を吹いていたのは自分の頭だった。みたいな。
こういう図が見てとれるとすると、Brasの在り方は、時代の流れの中でもう一度、何かを指し示すのではなかろうか。迷子たちが足を止め回りを見渡した時に、己の強大な自信を持って大地に根をはるBrasの姿が、見上げればその大樹が、何かを語りかけるのではないだろうか。
…などと、大風呂敷アジでございました。まぁしかし、最近のA.L.AdurizやA.Bourdasの発言を見てると、こんなような感じなのかなぁ、と思いもするのである。
[ところで]
故アンリ・ゴー氏の編著を学研が1994年に出版した「ヨーロッパ天才シェフ群像」は素晴らしい本だった。この書に刺激されてヨーロッパへの旅を始めた人も少なくないのでは。現在では残念ながら絶版のようである。この本の中のミッシェル・ブラスの項は、アンリ・ゴーと日本側スタッフの描写力の溢れる珠玉の頁だ。ここにこの書へのオマージュやらリスペクト、再版の祈り(無理か(^^;))をこめて、少し引用させてもらお。っと。
>1988年、ミッシェル・ブラスの登場は少なからぬ衝撃をフランス料理界に与えた。どこの一流店で修業したわけでもなく、いかなる流派にも属さず、ヌーヴェル・キュイジーヌの嵐にさえいささかの影響も受けなかった独立独歩の料理人。生まれ育ったオーヴェルニュの小村ライオールにどっしりと腰をすえ、あらゆる喧騒から遠く離れ、ただひたすらオーブラックの山から吹く風と、無窮の天空から送られてくるメッセージに聞き入り、その[思想]と[願い]を皿の上に表現し続ける料理人
>ブラスを評して[香草使いの魔術師]あるいは[料理の錬金術師]という表現がよく使われる。だが、それは彼とその料理の本質の一部しか映してはいない。確かに、その技術とセンスは卓絶しているし、すべての皿にこの地の香草、野草を活かすという着想も彼の独擅場だ。しかし、だからといって、皿の上に、香草使いのなかに、彼のすべてがあるわけでは決してない。彼はいう。「私の料理はオーブラック山地にいつも鼓吹されています。私の料理は、私の生き方や私のオーブラックへの思いと合致し、すべての生命の源泉である天と地と水とに最も直接的に結びついたものであってほしいと、いつも願っているのです」
>今、ミッシェル・ブラスの存在が現代料理にひとつの深い奥行きと高みを与えていることは確かだ。料理が単に技術の洗練と意匠の先鋭化にひた走り、真の生身の料理人の姿が見えなくなってしまうのであれば、何と味気ないことだろう。
>われわれは、ブラスの皿の上に、彼の心の原風景とでもいえるものが映し出されていることに、そしてまた、真摯に清らかな緊張感のなかで生きようとする人間ブラスの姿が浮かび上がってくることに、懐かしい感動を覚えるのだ。いや、その心の風景が見えるからこそ、かろうじてブラスの料理はその高みを維持しているともいえるのだ。
>孤高の才能が、唯一無二の宿命にあるのは仕方のないことだ。だが、とりわけブラスの料理が、ミッシェル・ブラス一代限りの料理であることを、今さらながら思い知らされて愕然とする。
>そう、ミッシェル・ブラスと同時代に生きる幸福を、彼の料理世界を体験できる幸運を、われわれだけが共有できるのだ。
>しかしまた、それゆえの哀しみを、われわれだけが味わわされるのだ。
(2002秋 Saint-Bonnet-le-Froid"Auberge et Clos des Cimes" → Laguiole "Michel Bras" → Valence "Pic")